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2022年7月21日 (木)

アルテミス神殿が倒壊(紀元前356年7月21日)

 古代ギリシアの古代都市エフェソスにヘロストラトスという羊飼いがいました。彼の詳細はほとんど知られていませんが社会的地位が低く、エフェソス人でなく、奴隷だったと伝えられおり良い境遇ではなかったようです。

 ヘロストラトスは自身の立場を不満に思い、有名になって歴史に名を残したいという思いに駆られていました。そして紀元前356年7月21日にエフェソスのアルテミス神殿に火を放ちました。

 アルテミス神殿は紀元前7世紀に建てられ紀元前3世紀頃まで存在した狩猟と野獣と出産の女神アルテミスをまつる大理石製の神殿です。最初の神殿は建造後間もなく倒壊してしまいました。ヘロストラトスが放火した神殿は紀元前550年頃にリディアのクロイソス王によって再建されたものです。アルテミス神殿はヘロストラトスの放火によって再び倒壊してしまったのです。

アルテミス神殿の想像図
アルテミス神殿の想像図(16世紀マールテン・ファン・ヘームスケルクの版画

 放火の容疑で捕らえられたヘロストラトスはあっさりと自分の容疑を認め「自分の名を不滅のもとのとして歴史に残すためアルテミス神殿に火を放った」と供述しました。エフェソスの人々は同じような動機をもつ人間による事件を防ぐためヘロストラトスに死刑を宣告しました。さらにヘロストラトスの名を歴史残さないようにするため「記録抹消罪」とし、ヘロストラトスの名を口にした者は死刑にすると決めました。

 こうしてヘロストラトスの名は封印されたはずなのですが、この記事が書けていることからもわかる通りヘロストラトスの名は伝承されています。実はヘロストラトスの事件はアルゲアス朝マケドニア王国の君主ピリッポス2世の一代記「ピリッピカ」に記録されており、その後の古代ギリシアの歴史学でもこの事件が取りあげられています。かくしてヘロストラトスの名は2400年の時を超えて伝承され、エフェソスの人々の意に反しヘロストラトスの目的は果たされていたのです。

 なおアルテミス神殿は紀元前323年に再建されています。この再建されたアルテミス神殿はかつてのアルテミス神殿よりも大規模なもので古代世界の七不思議とされましたが、やがてこの地がローマが統治されると神殿は破壊されてしまいました。現在は遺跡が存在するのみで神殿は残っていません。

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