快進社創立(1911年7月1日)
「快進社(かいしんしゃ)」は橋本増治郎が1911年7月1日に創立した日本初の国産自動車メーカー「快進社自働車工場」です。
「快進社自働車工場」は大正3年(1914年)3月20日から7月31日に東京府が主催して上野で開催された東京大正博覧会でエンジンを含む純国産自動車を出品しました。この「脱兎号(DAT CAR)」と名付けられた3人乗りの乗用車はV型2気筒10馬力エンジンを搭載し最高速度は時速32キロメートルで走ることができました。
脱兎号のDATには由来があり、Dは橋本の支援者で田健治郎(でんけんじろう)、Aは橋本の同郷の友人の通信気樹種者で後の安中電機製作所(現:アンリツ)社長の青山祿郎、Tは日本工業会に大きな貢献をしたコマツの創業者の竹内明太郎を意味していました。
「快進社自働車工場」は大正7年(1918年)に「株式会社快進社」となりこの年に直列4気筒15馬力エンジンで5人乗のダット41型の製造を始めました。第一次世界大戦を経て快進社は大正14年(1925年)に解散し、合資会社ダット自動車商会となりました。
1926年、「合資会社ダット自動車商会」は1919年に「久保田鉄工所(現:クボタ)」の出資によりが設立されていた「実用自動車製造株式会社」と合併し「ダット自動車製造株式会社」となりました。
「ダット自動車製造株式会社」は軍用保護自動車の製造を行っていましたが昭和に入ると小型自動車の施策を開始し、昭和5年(1930年)に試作車を完成させました。そしてDATの息子(SON)の意味をもつDATSONと名付けました。このときDATの意味が改められ、DはDurable(耐久性)、AはAttractive(魅力的)、TはTrustworthy(信頼)とされました。DATSONの量産が始まるとSONが「損」と読めるため同じ発音で太陽を意味するSUNに変更されDATSUNとなりました。
DATSUNの製造は順調でしたが軍用保護自動車の製造メーカーが統合されることになりました。昭和8年(1933年)に「ダット自動車製造株式会社」は「株式会社東京石川島造船所」傘下の「石川島自動車製造所」と合併し「自動車工業株式会社」となりました。この「自動車工業株式会社」は「現在のいすゞ自動車株式会社」になりますが、DATSUNの商標と小型車両部門と工場は戸畑鋳物と日本産業株式会社の共同出資で設立された「自動車製造株式会社」に引き継がれました。
昭和9年(1934年)、「自動車製造株式会社」は「日産自動車」へと社名を変更したのです。
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