« 太陽を背に羽根を乾かすカワウ | トップページ | 飛行機雲はどうしてできるのか? »

2022年7月23日 (土)

ギムリー・ライダー事故発生(1983年7月23日)

ココログ「夜明け前」公式サイト

 1983年7月23日に撮影された飛行機の手前にレーシングカーが並んでいる写真。いったい何があったのでしょうか。

ギムリー・ライダー
ギムリー・ライダー

 1983年7月23日、エア・カナダ143便(機体:ボーイング767-200 機体番号:C-GAUN)はカナダのケベック州モントリオール・ミラベル国崎空港を出発しました。目的地はオンタリオ州オタワ・マクドナルド・カルティエ国際空港経由のアルバータ州エドモントン国際空港でした。

 143便はオンタリオ州レッドレーク上空で左側エンジンの異常を示す警報が鳴りました。燃料圧力が異常値を示していたため機長は左側エンジンの燃料ポンプをオフにました。燃料はポンプが故障しても重力で供給可能であり燃料も十分に残っていたため異常は回避できたと考えられました。

 ところが間もなく燃料圧力の異常が再発したため、機長はマニトバ州ウィニペグ・ジェームス・アームストロング・リチャードソン国際空港に緊急着陸することを決断しました。その後、143便は左側エンジンが停止し右側エンジンのみで飛行を続けました。機長はエンジンの再スタートを試みましたが、全てのエンジンの停止を知らせる警報が鳴りました。すぐに右エンジンも停止し、143便はエンジンを全て失ってしまいました。エンジンの停止とともに143便は発電機も失うことになり多くの計器が作動しなくなりました。わずかに残った降下率計や高度計などの計器からの情報を元に飛行を続けることができました。エンジンが停止すると気体を制御するためのシステムも停止しますが、このシステムを作動する電力は緊急用風力発電機で賄われたため機体制御は可能でした。エンジンが停止した理由はわかりませんでした。 

 143便は管制塔の指示で最初はウィニペグ空港をめざしていました。しかし、高度計が示す高度、降下率計からわかる降下速度、空港までの距離から計算すると滑空のみではたどり着くことができないことが判明しました。そこで143便は目的地をマニトバ州ギムリーのカナダ空軍の旧ギムリー基地に変更しました。この基地は民間空港(ギムリー・インダストリアルパーク空港)になっており、滑走路の1本は閉鎖され自動車レース場として使われていました。

 機長は滑走路に着陸するため車輪を降下させました。主脚は重力によって降下しましたが前脚は空気抵抗で十分に降下しませんでした。143便はこの状態で着陸を強いられることになりました。143便がギムリー空軍基地に近づくに連れて高度が十分に下がっていないことが判明したためグライダーや軽飛行機が使う技術フォワードスリップで高度を下げることができました。機長が趣味でグライダーの操縦に慣れ親しんでいたことが幸いしました。143便はギムリー空軍基地の滑走路に着陸、フルブレーキングにより車輪がいくつかパンクしました。前脚が十分に降下していなかったため機首が滑走路に設置し胴体着陸状態になりましたが自動車レース用に設置されたガードレールに引っかかったため着陸距離が短縮され滑走路端で行われたいたイベント会場のわずか手前で停止しました。着陸時に前方で火災が発生したため客室は一時騒然としましたが乗客61名と客室乗務員6名は生還することができました。この事故の名称は「エア・カナダ143便滑空事故」ですがギムリー空港で起こった滑空事故だったことから「ギムリー・ライダー」と呼ばれました。

 さてこの事故の原因は燃料切れでした。しかし飛行中には燃料計は燃料切れを示していませんでした。通常、航空機には飛行に必要な燃料が燃料搭載量情報システム (FQIS)によって給油されます。しかし、143便のFQISは故障しており、この日の給油は人が行いました。当時、航空業界ではヤード・ポンド法からメートル法に移行中でした。143便はエア・カナダで最初にメートル法を採用した機体だったのです。

 143便の飛行には2万2,300キログラムの燃料が必要でしたが、係員が間違ってヤード・ポンド法で体積に換算してしまったため十分な燃料が給油されませんでした。143便の計器には手動で燃料2万2,300キログラムと登録されましたが、実際には約1万キログラムしか給油されていなかったのです。計器は2万2,300キログラムを元に残量を示していたため燃料不足に気が付くことはできなかったのです。

 機長らはモントリオールを出発するとき燃料量が心配になって何度か再計算したようですが同じ結果となったためそのまま出発し経由地のオタワで再確認することにしていました。予定通りオタワで燃料の量が測定されましたがここでも間違いを起こし燃料不足に気づくことができなかったのです。

【関連記事】

黒いジェット機事件(1959年9月24日)

ソ連戦闘機が函館空港に強行着陸(1976年9月6日) 

日本航空123便墜落事故(昭和60年 1985年8月12日) 

 

 

ココログ夜明け前|Googleニュース

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

Amazonアソシエイトとしてブログ「夜明け前」は適格販売により収入を得ています。

プライバシーポリシー

| |

« 太陽を背に羽根を乾かすカワウ | トップページ | 飛行機雲はどうしてできるのか? »

今日は何の日」カテゴリの記事

飛行機」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 太陽を背に羽根を乾かすカワウ | トップページ | 飛行機雲はどうしてできるのか? »