モリソン号事件と7人の日本人(1837年6月28日)
天保8年(1837年)6月28日(旧暦)、三浦半島の東部の神奈川家の浦賀沖に大きな商船が現れました。浦賀奉行は異国船打払令に基づきこの商船に砲撃しました。商船はやむを得なく浦賀から退去しました。この商船はマカオからやってきたアメリカ合衆国のオリファント商会のモリソン号という商船でした。モリソン号は外国との友好を目的としていたため非武装だったため反撃できませんでしたが、幕府の砲弾が鉄球だったため大きな被害を受けることなく退去しました。その後、九州の薩摩に立ち寄り交渉しましたが空砲威嚇射撃を受けたためマカオへ戻りました。
当時、多くの日本船が嵐で難破し、漂流した日本人が外国船に助けられる事例がしばしばありました。モリソン号は海難で外国船に救助されてマカオに滞在していた7人の日本人を送り届けると同時に日本と通商条約を結ぶ目的でやって来ました。しかしながら、幕府側はこのモリソン号の目的を理解しないまま追い返してしまったのです。無許可の上陸で特に問題視していたイギリス船と誤認されたとも言われています。
天保9年(1838年)、長崎のオランダ商館長がオランダ風説書でモリソン号の日本渡来の目的を報告し、これによって幕府はモリソン号の目的を理解しました。このときモリソン号はイギリスの船と誤って伝わりました。幕府内では漂流民をオランダ船で返還させる、通商と引き換えの場合は返還の必要なし、モリソン号が再来したときは攻撃する、漂流民を返還してきた場合はむやみに打ち払うべきではないなどの意見が出ました。最終的には幕府の最高司法機関である評定所は「漂流民受け取りの必要なし。モリソン号再来の場合はふたたび打ち払うべし」という厳しい結論に達しましたが、幕府内では穏便に解決するという意見も多く漂流民はオランダ船に送還させることになりました。
さてモリソン号には7人の日本人漂流民が乗っていました。その7人とは音吉、岩吉、久吉の3人と庄蔵、寿三郎、熊太郎、力松ら4人です。
音吉、岩吉、久吉は天保3年(1832年)に鳥羽から江戸に向けて米などを運ぶ宝順丸に乗っていましたがこの船が遠州灘で海難事故に遭い太平洋を漂流しました。何とか生き延びることができた音吉ら3人はシアトル近くのアメリカ大陸のオリンピック半島にたどり着き現地人に救助されましたが、その後は奴隷のように扱われイギリス船に売り飛ばされました。音吉たちはロンドンまで連れていかれ船上で滞在していましたが1日だけ上陸を許可されロンドン市内を見学しました。音吉らが初めてロンドンの街を訪れた日本人と考えられています。このことはすぐにロンドンに報告され、3人は日本に送還されることになり天保6年(1835年)にマカオまで連れていかれました。ここで3人はイギリス貿易監督庁で通訳をしていた宣教師に預けられ現存する世界初の日本語訳聖書「ギュツラフ訳聖書」の作成を行いました。
天保8年(1837年)、九州出身の漂流民の庄蔵、寿三郎、熊太郎、力松がスペインの船でマカオにやって来ました。庄蔵ら4人は天保5年(1834年)に庄蔵が船頭を務める船で天草から長崎まで向かいましたが海難事故に遭い漂流しルソン島にたどり着きまいた。庄蔵ら4人は現地人に保護されスペイン船に引き渡されていたのです。
異国の地マカオで出会った音吉ら3人と庄蔵ら4人はアメリカ商船モリソン号で日本に送還されることになりました。天保8年(1837年)6月2日(旧暦)にマカオを出発しましたが、モリソン号が追い返されたことから7人は帰国することができませんでした。
音吉はその後アメリカを訪れたという説がありますがその後は上海でアヘン戦争にイギリス兵として従軍したとされています。その後、イギリス人が開いたテント商会で働きイギリス人女性と結婚しています。この妻との間に娘が産まれましたが不幸にも妻も娘も亡くなってしまいます。音吉は嘉永2年(1849年)に再び浦賀を訪れます。このときはイギリス東インド会社艦隊の帆船マリナー号の日本語通訳を務めていますが自身が日本人であることは明かさず中国人の林阿多いう偽名を使っています。その後も通訳として日本を訪れ福沢諭吉などとも会っています。日本への帰国を勧められましたが上海での暮らしがあるため断っています。音吉はテント商会で働いていたシンガポール出身の女性と再婚し、シンガポールに移住します。そこでイギリスに帰化してジョン・マシュー・オトソンと名乗りました。
音吉以外の仲間の多くは亡くなったり行方がわからなくなりましたが、庄蔵と力松はマカオから香港に移り住んでします。音吉をはじめとした7人は日本人漂流民を救って日本に送還する活動をしていたそうです。
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