松前城(福山城) 天守を焼失(1949年6月5日)
戦国時代。かつて蝦夷(北海道)の地にも戦国武将がいました。蠣崎氏(かきざきうじ)です。
蠣崎氏は元々は室町時代の武田氏の子孫である武田信廣を祖とする家柄です。
豊臣秀吉が関白になったときにはこの地からはるばる上洛を果たしたそうです。それによって秀吉に所領を安堵されました。江戸時代になると徳川家につき松前氏と名乗るようになりました。
蠣崎氏はもともとは福山館という大きな屋敷に住んでいました。松前氏となってからも城を持っていませんでしたが、江戸末期の松前藩第12代藩主、松前松前崇広の代に幕府から北方警備を命ぜられ築城されたのが松前城です。そのため福山城とも呼ばれます。
松前城は日本最後の旧式城郭です 幕末に城主だった松前徳広は戊辰戦争の際に五稜郭にやってきた旧幕府軍からの協力要請を無視し、これに怒った榎本武揚は土方歳三に松前に攻め込む命令を出しました。松前城は開戦から間もなく落城してしまいました。箱館戦争終盤には新政府軍と松前藩兵が松前城を奪還しています。
明治維新後は開拓使が本丸御殿を出張所としようとしましたが老朽化が激しいため天守や本丸の表御殿と御門を残してそれ以外の建物を解体し、さらに石垣を撤去し堀を埋めて更地にしました。
その後、松前城は天守部分が公会堂として利用されていましたが保存の予算がつかず老朽化していきました。昭和の初めには見向きもされなくなってしまいました。ところが昭和10年(1935年)に松前城跡が国の史跡となったことから保存されることになり、昭和16年(1941年)には天守や本丸の表御殿と御門が国宝に指定されました。
第二次世界大戦の戦火を免れた松前城でしたが白壁が崩れ屋根が壊れて鯱が落下するなど無残な状態になりました。昭和23年(1948年よ)に国と北海道で修繕することになりましたが予算がつかず昭和24年(1949年)に持ち越されました。
修繕を開始する直前の昭和24年(1949年)6月5日午前1時10分頃、松前町役場として使われていた松前奉行所跡から出火し、火の手は本丸まで広がり天守が焼失してしまいました。天守は昭和34年(1959年)に復元されています。
Google Mapでは松前城の姿を見ることができます。
松前公園
松前城天守
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