« シン・ウルトラマン Millennials BOOK | トップページ | 松前城(福山城) 天守を焼失(1949年6月5日) »

2022年6月 4日 (土)

熱気球の日(1783年6月4日)

 熱気球は球皮と呼ぶ袋にぶら下げられたゴンドラから熱した空気を送り込んで浮力を利用して飛行する気球です。

 熱気球の原理は簡単なため熱気球は古くから存在していたと考えられます。三国志で有名な諸葛亮が天灯(孔明灯)という熱気球の一種を発明していたという説があります。諸葛亮が平陽で司馬懿軍に包囲されたとき天灯を使って救援を要請したと伝えられています。天灯は大型の籠のような形をしていて情報を伝える紙が貼ってあったそうです。また1241年にモンゴル人が戦で通信手段として使ったという言い伝えや1709年にポルトガル人のバルトロメウ・デ・グスマンが熱気球の模型を飛ばしたという記録が残っています。しかし、これらの気球は小型のもので人が乗れるようなものではありませんでした。

 有人飛行が可能な熱気球を開発したのはフランスの兄ジョゼフ=ミシェル・モンゴルフィエと弟ジャック=エティエンヌ・モンゴルフィエのモンゴルフィエ兄弟です。最初に空を飛ぶことに興味をもったのは兄ジョセフでした。1715年にパラシュートのようなものを作り家から飛び降りたそうです。あるとき焚き火で干していた洗濯物が浮かび上がるように膨らんでいるのを見て熱気球を作ることを着想しました。

 当時は空気を温めると密度が低下することはわかっていませんでした。ジョセフは焚き火の煙と一緒に浮かび上がる火の粉や煤を見て煙の中に浮力をもつ特殊な気体があると考えました。そして、その気体を「モンゴルフィエガス」と名付け煙の出る燃料を使うことにしました。

 ジョセフは木材で1 m × 1 m × 1.3 m(3フィート×3フィート×4フィート)の箱を作り、上部と側面を軽い布で覆いました。箱の底に紙くずをおいて火をつけると箱が天井まで浮き上がりました。熱気球の模型の飛行試験に成功したのです。

 ジョセフはこの結果から兄弟を熱気球の制作に誘いました。これに賛同したのがジャックでした。さっそく2人はジョセフが作った模型の3倍の大きさの熱気球を制作しました。そして1782年12月14日、この熱気球の飛行テストを行いました。燃料には羊毛と干し草を使ったこの熱気球はあっという間に上昇しましたが浮力が想定より大きかったため制御することができなくなりました。熱気球は2 kmほど浮き上がった後に落下しましたが発見した人々が化け物が落ちてきたと怖がって破壊してしまいまいた。

 モンゴルフィエ兄弟は熱気球の発明を多くの人に知ってもらうため公開実験を計画しました。薄い3枚の紙で固めて補強した織物の亜麻布(リネン)で気球を作りました。4つの布袋を1800個のボタンで留めてひとつの大きな気球としました。そして補強のため全体を漁網で覆いました。気球の大きさは容量790立方メートル、重量225 kgにもなりました。

 1783年6月4日、フランス南東部の都市アノネーで公開実験を行いました。この公開実験には役人が招待されていました。飛行実験は見事に成功し、熱気球は1.6~2.0 kmほど上昇し距離2 kmほどを10分間で飛行しました。この飛行実験の成功はパリに伝えられました。ジャックはその後壁紙職人ジャン=バティスト・レヴェイヨンの協力を得て耐火性のある強度な気球を作り同年9月11日に飛行実験を行いました。

1783年6月4日の熱気球飛行実験とモンゴルフィエ兄弟(左:ジョセフ 右:ジャック)
1783年6月4日の熱気球飛行実験とモンゴルフィエ兄弟(左:ジョセフ 右:ジャック)

 ここまでの熱気球の飛行実験は無人で行われました。これは上空でヒトが呼吸ができるのか無事でいられるのかがわからなかったためです。やがて熱気球の飛行実験の成功が重なると有人飛行が注目されるようになりました。熱気球にいきなり人を乗せる案も出ましたがモンゴルフィエ兄弟はヒツジとアヒルとニワトリを乗せることにしました。そして同年9月19日、ベルサイユ宮殿でルイ16世とマリー・アントワネットと多くの群衆の前でヒツジとアヒルとニワトリ乗せた熱気球の飛行実験を行いました。レヴェイヨン気球と名付けられた熱気球は高度460 mで8分間飛行し3 kmほど移動して着陸し飛行を成功させました。

 初めての有人飛行の実験は同年10月15日に行われました。係留した熱気球にジャックが乗り込み飛行実験を行いました。続いて理科教師のピラトール・ド・ロジェが乗り込みました。この実験では熱気球を係留していたため高度は24 mで移動距離はゼロでした。

 この成功により同年11月21日に係留なしでの熱気球の有人飛行実験が行われました。熱気球にはロジェと軍人フランソワ・ダルランド侯爵が乗り込み高度90 mで約8.8 kmを25分で飛行しました。

【関連記事】

パラシュートの日(1797年10月22日)

日本で初めて飛行機で飛ぶことに挑戦した鳥人幸吉

クレマン・アデールが世界初の動力飛行に成功(1890年10月9日)

二宮忠八 日本初の模型プロペラ飛行器を飛ばした男(明治24年 1891年4月29日)

ライト兄弟が初飛行に成功 (1903/12/17)

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

| |

« シン・ウルトラマン Millennials BOOK | トップページ | 松前城(福山城) 天守を焼失(1949年6月5日) »

今日は何の日」カテゴリの記事

飛行機」カテゴリの記事

科学・技術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« シン・ウルトラマン Millennials BOOK | トップページ | 松前城(福山城) 天守を焼失(1949年6月5日) »