両国川開き|隅田川花火大会の始まり(1733年5月28日)
萬治2年(1659年)、大和国の篠原村から火薬を扱うことができる弥兵衛という人物が江戸に出てきました。弥兵衛は江戸に出てくると植物の葦の中空の茎の中に火薬を入れた花火を自作しました。当時の江戸の人たちは線香花火や鼠花火を楽しんでいましたが弥兵衛の花火は派手な火を出すことからたちまち人気となりました。弥兵衛は両国横山町に屋号「鍵屋」の花火屋を開きました。
当時の江戸では花火が原因による火事が耐えなかったため町中での花火の禁止令がたびたび出されました。慶安元年(1648年)の禁止令では花火が許可されたのは隅田川のみでした、寛文5年(1665年)、寛文10年(1670年)にも花火禁止令が出され江戸では花火が行われなくなりました。
そのような中でも弥兵衛は鍵屋で花火の研究開発を進め、より大型で高く打ち上がる花火を作り出しました。正徳元年(1711年)には江戸幕府第6代将軍の徳川家宣の命で鍵屋が隅田川で流星を打ち上げています。
現在、東京の夏の風物詩として行われている隅田川花火大会 は両国川開きが始まりです。両国川開きは江戸の火除けの地として造成された両国橋のたもとの広場などに夜店や屋台の出店が許可された期間(旧暦5月28日~8月28日)の初日のことです。両国川開きは江戸の夏の始まりを告げる納涼祭で川にはたくさんの屋台船が出ました。
享保18年(1733年)5月28日(新暦1733年7月9日)の両国開きで鍵屋6代目弥兵衛が打ち上げ花火と仕掛け花火を打ち上げました。大飢饉や疫病による死者供養と災厄除去を祈願しての花火の打ち上げとされています。これが「隅田川花火大会 」の始まりとなりました。
隅田川花火大会 はしばらくの間は鍵屋が打ち上げを行いましたが、1808年に鍵屋番頭の清七(玉屋市兵衛)が暖簾分けし玉屋を創業しました。鍵屋と玉屋の名前の由来はお稲荷さんの2匹の狐がそれぞれ鍵と玉をくわえていることに由来します。 これ以降は鍵屋と玉屋が打ち上げを担当するようになりました。
隅田川花火大会では鍵屋と玉屋は異なる場所から花火を打ち上げたため、観客は打ち上げられた花火がどちらの花火屋のものか判断することができました。打ち上がった双方の花火を見て「たまや~」「かぎや~」と声がかけられるようになりました。
玉屋の花火はずいぶん人気になりましたが、天保14年(1843年)に火事を出し町を半丁ほど焼失させてしまいました。またその日が江戸幕府11代将軍の徳川家慶の日光東照宮の参詣の日だったこともあり厳しい処罰がなされ玉屋は財産没収、市兵衛は江戸から追放されてしまいました。これによって市兵衛の玉屋は1代で断絶してしまいました。
一方の鍵屋は初代弥兵衛から続く株式会社宗家花火鍵屋として現在も花火の打ち上げをしています。現在、当たり前のように打ち上げられる同心円状に開く花火は鍵屋10代目弥兵衛が明治7年に開発し世に広く知らしめたものです。
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