エフエム東京が開局(1970年4月26日)
FM放送は周波数変調(frequency modulation)方式を使った放送です。音声信号に応じて送信する電波の周波数を変化させる変調方式です。超短波を用いるため超短波放送とも呼ばれます。FM方式は1928年にアメリカの電気工学者エドウィン・アームストロングによって発明され、1941年にFM放送が実用化されました。日本では昭和32年(1957年)にNHK東京超短波実験局が開設され1969年に本放送が開始されました。
1950年代にテレビ放送が普及すると文部省(現:文部科学省)は放送を利用した高等教育の検討を始めました。文部省がテレビやラジオを利用した教育の研究に助成金を支給し始めると、FM放送を利用したラジオ局を開設する私立大学が増えました。研究を先んじて進めていたのは東洋大学でしたが大学ラジオ局開設を目指して最も早く準備を始めたのは東海大学でした。
東海大学は1957年6月に当時の郵政省(現:総務省)に超短波放送実験局の免許を申請、1958年4月に予備免許取得、同年12月から放送を開始しました。このときの識別信号(呼出符号 )はJS2AO、周波数86.5 MHz(当時はMc:メガサイクル)、出力1 kwでした。翌年1959年11月に周波数を84.5 MHzに変更し、1960年4月に東海大学超短波放送実用化試験局(JS2H)を開局、これがFM東海となりました。実用化試験局はスポンサーの獲得と広告の放送が認められており、FM東海は日本で初めての民放FM局になりました。毎日朝5時から1時間、月曜日から土曜日の午後7時から1時間に通信教育講座「望星高校の時間」の放送を開始しました。それ以外の時間は様々なジャンルの音楽番組が放送されていました。
この頃、東洋大学も実験局を開局していました。東洋大学は国内の大学としては放送教育の研究を先んじて進めていたため教育放送局を実現する有力候補と考えられていました。ところが資金不足により東洋大学の実験局は実用化実験局に至らないまま事業を進めることができなくなりました。実験局と実用化実験局の違いが曖昧だったため、事業が継続できなくる実験局とスポンサーを得て事業を継続している実用化実験局の格差が大きな問題となりました。このような状況の中で文部省は方針を改めてテレビやラジオを利用した放送教育は国で行うことと決めました。郵政省もFM放送実施のための必要な資料が得られたとし放送局の継続を認めませんでした。これは開局している放送局にとっては梯子を外されたようなものでした。
郵政省は実用化実験局の免許が切れた東海大学を不法無線局として電波法違反で告発しました。これに対して東海大学は誣告罪(虚偽告訴等罪)で郵政省を提訴しましたが、株式会社の民間放送局に移行することでは話がまとまりました。これによってFM東海は1970年4月25日に閉局となり、翌日26日にエフエム東京(JOAU-FM、80.0 MHz)となりました。
【関連記事】
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