「八百屋お七」の物語(旧1683年3月28日)
ときは天保2年12月28日(新暦1863年1月25日)の正午頃、江戸の駒込の大円寺からあがった火の手は辺りの建物を次々と飲み込みながら延焼し続けたのである。消火に至ったのは翌朝の5時頃、いわゆる天和の大火と呼ばれる江戸の大火である。
この大火によって江戸本郷の八百屋八兵衛の店は焼け出され、八兵衛一家は檀那寺でしばらく避難生活をすることになったのである。避難生活が続く中で八兵衛の娘のお七は寺の小姓と恋仲になる。やがて店が再建され八兵衛の一家は檀那寺を引き払い元の日常生活へ戻る。お七もかつてのありふれた生活へと戻るが小姓を忘れることができずその思いは募るばかり。しかし、お七と小姓が再び会う機会もなく無情に時は過ぎていくばかりであった。
どうしたら庄之介に会うことができるでしょう。思い詰めたお七は再び家が火事になって焼き出されれば檀那寺の生活を始められると考えるようになる。そしてある日のことついに自宅に放火してしまう。幸い近所の人がすぐに気が付いて火はすぐに消火されたのである。放火はぼや程度で済み大事には至らなかったものの、お七は放火の罪で捕縛され鈴ヶ森刑場で火あぶりの刑に処せられたという。天保3年(1683年)3月28日のことです。この顛末が市中に広まり「八百屋お七」の伝承が生まれることになったのである。天和の大火がなければお七が小姓と会うこともなかったはずであり、いつの頃から天和の火災はお七火事とも呼ばれるようになったのである。
さて、
「八百屋お七」の物語は井原西鶴の「好色五人女」をはじめとして文学、浄瑠璃、歌舞伎、浮世絵などの作品となりました。ところが、お七に関する詳細な記録は残っていません。天保3年の歴史的資料「御当代記」には「駒込のお七付火之事、此三月之事にて二十日時分よりさらされし也」と記載されていますが、江戸幕府の御仕置裁許帳にはお七という名前の女性が処罰されたという記載はありません。
ですから「八百屋のお七」について言えることは、お七が放火して処刑されたことだけです。お七の放火の動機もわからなければ、火あぶりの刑に処せられたのかどうかもわかりません。お七が八百屋の娘だったのかどうかもわかりませんし、お七の年齢も不詳です。
ところで丙午生まれの女性に関する迷信が古くからあります。これは江戸時代初期には「丙午には火事が多い」という言い伝えだったようです。しかし「八百屋のお七」の事件に後、お七が丙午生まれだったことから女性に関する迷信となったと考えられています。お七が本当に丙午生まれだとすると、お七の誕生年は1666年となり数え年で18歳となりますが他の伝承では16歳だったとあります。
こうした食い違いは創作によるものと考えられていますが、たくさんの創作が生み出されています。その創作の中にはかつては史実とされたものもありますが現在のところ「八百屋のお七」についての詳細はわかっていません。
しかし、「八百屋のお七」の物語は当時の人々から同情されたのは事実のようです。物語に脚色された部分が多いにしろ、元になった事件はあり、お七は実在していたのではないでしょうか。天和の大火がなければ「八百屋お七」の物語が生まれることもなく、丙午生まれの迷信もなかったでしょう。いろいろ調べていくとさらなる疑問も出てきますが、このあたりで筆を置くことにします。
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