都内観光バス「はとバス」運行開始(1949年3月19日)
東京で初めて路線バスを運行したのは民営バス会社の東京市街自動車(後の東京乗合自動車)です。大正8年(1919年)に運行を開始したこのバスは車体が深緑色で都民から「青バス」と呼ばれて親しまれていました。
一方、東京で初めて運行された観光バスは東京遊覧乗合自動車が大正14年(1925年)に東京乗合自動車の協力を得て営業を開始した遊覧バスです。このバスは上野を起点として皇居、日比谷公園、愛宕山、明治神宮、浅草観音、銀座通りなどを遊覧する路線バスとして運行されました。遊覧バスには2名の案内人が乗車し観光ガイドを行いました。間もなく経営基盤の弱かった東京遊覧乗合自動車は遊覧バスの定期運行を確実にするため大正15年(1926年)に東京乗合自動車に定期遊覧バスの事業を譲渡し共同営業としました。
昭和に入ると東京乗合自動車は経営難となり昭和10年(1935年)に日本初の地下鉄を開業した東京地下鉄道が東京乗合自動車の親会社となりました。これに伴い東京遊覧乗合自動車も大東京遊覧自動車に社名を変更ました。この会社の社長には東京地下鉄道の創業者の早川徳次が就任しました。
昭和14年(1939年)に第二次世界大戦が始まると翌昭和15年(1940年)10月に遊覧バスは営業休止となりました。戦乱の中で東京地下鉄道のバス事業は昭和17年(1942年)に東京市に買収され、これに伴い遊覧バスの営業権も東京都に移動しました。第二次世界大戦終了後、東京地下鉄の社員だった山本龍雄が東京都に対して遊覧バス事業の払い下げを求めました。昭和23年(1948年)、東京市は遊覧バス事業の営業権を日本観光に与えることを決定し、同年8月に東京市などの出資を受けて新日本観光が設立されました。
この新日本観光のバスにはシンボルマークとして鳩が描かれていました。鳩が選ばれた理由は、鳩が平和や安全のシンボルだったこと、伝書鳩が目的地に到着した後に必ず厩舎に戻ってくることからバスの安全運行の願いを込めたからだそうです。この鳩のシンボルマークにより、新日本観光の遊覧バスは「はとバス」と呼ばれて親しまれるようになりました。そして昭和38年(1963年)9月1日、新日本観光は「株式会社はとバス」と社名を変更しました。
自分は子どもの頃に「はとバス」に乗ったことがありますが、その後しばらくは「はとバス」に乗る機会はありませんでした。東京都民で「はとバス」に乗るのもなという思いも正直ありました。あるとき仕事で外国のお客様を観光案内する機会がありました。このとき自ら案内コースを考えるのは面倒だったため「はとバス」による東京観光に連れていったのです。外国のお客様は東京の有名な観光地をあっという間に巡ることができたと大喜びしました。お客様に感謝されながら自分も「はとバス」の東京観光に感激していたのです。それ以来、東京観光の機会があるたびに「はとバス」を利用したり、利用を勧めるようになりました。
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