スバル360発表(1958年3月3日)
フォルクスワーゲンの「かぶと虫」に対して「てんとう虫」と呼ばれ親しまれたスバル360。スバル360は当時富士重工業だったSUBARUが開発した軽自動車で1958年から1970年まで生産・販売されました。生産台数は39万台を超え国産としては初の大衆車となりました。1960年代を代表する自動車ですが昭和のレトロカーとして現在においても現役で走っているところを時々見かけます。
1950年代後半、国産自動車メーカーが乗用車の製造販売をしていましたがその価格は1000 ccの小型自動車でも100万円でした。昭和31年(1957年)の当時の大卒男子の初任給は13,800円ですから乗用車は高嶺の花だったのです。低価格の乗用車を販売するには軽自動車の開発が必要でしたが当時の軽自動車の規格は3輪車用で4輪の軽自動車を開発できるものではありませんでした。1952年に愛知県名古屋市の中野自動車工業が250 ccの「オートサンダル」という4輪軽自動車を製造販売しましたが実用的ではなかったため2年ほどで製造中止となりました。その後もいくつかのメーカーが4輪軽自動車の製造販売をしましたがどれも長続きしませんでした。
1954年9月、「新・道路交通取締法」が施行されると軽自動車の規格が改められ排気量が360 ccに統一されました。この規格に沿って開発された国産初の4輪軽自動車は昭和30年(1955年)に発売された鈴木自動車工業の「スズライト」のみでしたが軽自動車は一般的ではなく生産台数は伸び悩みました。
1952年、富士自動車工業は1500 ccの4ドアセダン「スバル1500」の開発に着手しました。富士重工業の前身の富士産業はもともとは中島飛行機でエンジンや金属モノコックの技術に長けていました。1954年に「スバル1500」の試作もできあがりましたが採算が合わずとりわけ価格面で市場競争力がないという懸念がありました。1955年、富士自動車工業を吸収合併した富士重工業は「スバル1500」の市販を断念し開発を中止しましたが同時に360 ccの軽自動車用エンジンと4人乗りの軽自動車の開発に着手しました。この背景にはラビットスクーターの成功と軽自動車用エンジンの開発への自信がありました。この軽自動車の開発には「スバル1500」の経験が大いに役に立ちました。部品も汎用品の寄せ集めではなくネジひとつから最適化されて設計されたものでした。これによって車内スペースも広がり4人乗りでも安定して走ることができる高性能の軽自動車に仕上がりました。
さて「てんとう虫」と呼ばれた「スバル360」のデザインはラビットスクーターのデザインを担当したインダストリアルデザイナーの佐々木達三が担当しました。佐々木達三は公衆電話の赤電話やピンク電話のデザインを担当したことでも有名です。初めて自動車のボディをデザインすることになった佐々木は自ら運転免許を取得し「日野ルノー4CV」を運転して自動車を体験しました。「スバル360」はその形状から「フォルクスワーゲン」を参考にしたと言われていますがフォルクスワーゲンを模して作られたとされる「ルノー4CV」に似ています。また「スバル360」は開発当初から名付けられていたものではなく、名称が決まっていないと聞いた佐々木が「SUBARU 360」のロゴを考案しこれがそのまま車名として採用されることになりました。
「スバル360」の試作が完成したのは昭和32年(1957年)4月20日です。自動車を販売するには運輸省の認定試験を受ける必要がありました。ことになりました。この試験には600 kmに及ぶ長時間連続走行試験やエンストなしで峠を走る登坂試験がありました。認定試験は1956年2月4日から始まりました。テストドライバーとナビゲータは「スバル360」の積載重量を減らし負担を軽減するため小雪が降る中を薄着で運転したそうです。登坂試験では運輸省の試験官2名が乗車することになっていましたが小さすぎる自動車に乗ることを嫌がった1人が乗車を拒否し体重分の重りを積載することになりました。「スバル360」は認定試験で優れて成績を製造・販売が認められたのです。
「スバル360」の発表は1958年3月3日12時から東京の富士重工業本社で行われました。この発表はプレス発表であったため富士重工業はカタログしか用意していませんでした。参加した記者から実車の展示と試乗を求められ急遽「スバル360」を2台準備することになりました。「スバル360」が東京本社に届くまで数時間かかりましたが実車を体験した記者たちは「スバル360」の出来映えに感動したそうです。国内外で大反響となり海外の雑誌でも「アジアのフォルクスワーゲン」と紹介されました。
「スバル360」発売開始は昭和33年(1958年)5月1日です。一番最初に購入したのはパナソニックの創業者の松下幸之助です。本体価格は42万5千円で当時の自動車の半額でした。初年度の販売台数は385台でしたが低価格・高性能であることから販売台数が伸び日本の大衆車の代表となり1967年に本田技研工業がN360を発表するまで軽自動車販売台数首位の座を守り続けました。
今でも「スバル360」を時々見かけることがありますがとても懐かしい気持ちになります。子どもの頃、隣に住んでいた家族が「スバル360」を持っていたからです。当時、自分の両親は自動車免許証を持っていなかったのでが家族ぐるみでお付き合いしていたので、「スバル360」によく乗せてもらい、いろいろなところに遊びに連れていってもらいました。また学生の頃、友達が買ってきたのが中古の青い「スバル360」でした。この青いスバル360で友人たちと珍道中のようなドライブをしましたが、いつの日かライトやワイパーのプラスチックのボタンが壊れて外れてしまい以降はむき出しになったスイッチの棒をペンチで引っ張ってON/OFFしていました。
「スバル360」は2016年の日本機械学会の機械遺産に認定されています。
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