バチカン市国成立(1929年2月11日)
1860年代、ローマはフランスの支配下にありましたが1870年の普仏戦争でフランスが劣勢になるとローマ教皇領は同年9月20日にイタリア王国に占領されました。翌1871年にイタリア王国は遷都しローマを首都とするのと同時に教皇保障法を成立させました。
この法律でイタリア王国はローマ教皇庁にバチカンおよびラテラノ宮殿の占有を認める一方で毎年税金を収めることを要求しました。sっかし、当時のローマ教皇ピウス9世はカトリック教会は政治的権力の影響を受けるべきではないとして提案を拒絶、イタリア王国の政府関係者全員を波紋にしました。結果としてローマ教皇庁とイタリア王国の関係が悪化し対立することになりました。ピウス9世は限られた区域から出られなくなり自らを「バチカンの囚人」と称するようになりました。このような体制は次世代のローマ教皇になってもしばらく続き「ローマ問題」と呼ばれました。
1926年、イタリア王国のベニート・ムッソリーニ首相はローマ教皇庁との関係を改善することでカトリック協会系の政治勢力を自らの体制に組み込むことを狙って「ローマ問題」の解決に向けて和解交渉に乗り出しました。これによって政府と教皇庁の交渉が始まり、3年後の1929年2月11日にラテラノ宮殿で「ラテラノ条約」が締結されました。
この条約によってローマ教皇ピウス11世はイタリア王国を承認すると同時に教皇庁が対外的に中立でイタリア国内の特定政党を支持しないことを約束しました。一方、イタリア政府は1870年の教皇領没収に対する補償金を支払うと同時にカトリック教会がイタリアにおける特別な地位をもつ宗教であると認め、さらにバチカンの自治権を承認しました。そしてバチカンに駅を作りイタリアの国鉄と接続することを約束しました。この「テテラノ条約」によって1870年から59年間に及ぶ「ローマ問題」に終止符が打たれ、ここにバチカン市国が成立したのです。
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