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2022年2月22日 (火)

ガリレオが「天文対話」を刊行(1632年2月22日)

 ガリレオが地動説を唱え続けカトリック教会から有罪とされた裁判の話は有名です。しかしながら当時は天動説が主流だったもののカトリック教会自身は天動説を積極的に支持していたわけではなくガリレオが疎んじていた権力者が働きかけて有罪とされたという説があります。ガリレオが地動説を唱え有罪となるきっかけを作ったのが著書「天文対話」の発表でした。

 ガリレオは1610年に自作の天体望遠鏡で木星の衛星「ガニメデ」「エウロパ」「イオ」「カリスト」を発見しました。当時、宇宙の構造は宇宙の中心に存在する地球の周りを太陽や月などの天体が回っているという天動説(地球中心説)が信じられていました。

 ガリレオは木星の周りを回る衛星を発見し宇宙の構造は天動説では説明できないことに気が付いたのです。また金星の観察では金星が満ち欠けすることや季節によって見掛けの大きさが変わることを発見し金星が太陽の周りを回っていることに気が付きました。これらの事実からガリレオは天動説に懐疑的となりコペルニクスの地動説を支持するようになりました。

 ガリレオの裁判は1616年と1633年に2回行われています。第1回目の裁判でガリレオは有罪を受ていますが判決文が第2回の裁判のために偽造された可能性が高くどのような判決が下されたのかはよくわかっていません。裁判を担当した判事は判決の前に友人に対して地動説をひとつの絶対的な真理ではなく仮説として発表し慎重に行動するのであれば許容範囲という旨の手紙を送っています。判事はガリレオの地動説に頭から否定的ではなかったと考えられます。もうひとつの事実としてはローマ教皇庁は裁判後にコペルニクスの地動説を禁じコペルニクスの「天球の回転について 」を閲覧禁止としています。しかし、コペルニクスの著書は単なる算術的な仮説として閲覧が解禁されています。地動説は間違いではあるが天体の動きを予測する占星術にとって便利な「手法」だったのでしょう。

 1630年になるとガリレオは天文学を解説した「天文対話」という本の執筆を始めました。「天文対話」はアリストテレス派のシムプリチオ、コペルニクス派のサルヴィアチ、そして中立的な立場のザグレドの3人を登場させて天文学の議論をさせる内容でした。ガリレオは地動説と天動説をあくまでも仮説として3人に議論させています。これによって地動説を絶対的な説とすることを避けたのです。そして第1回目の判事の判決から「天文対話」を出版しても問題がないと考えローマ教皇庁の許可を得たうえで1632年2月22日に「天文対話」をフィレンツェで出版しました。

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ガリレオ「天文対話」(1632年)

 ところがガリレオは1633年に第2回目の裁判にかけられます。第1回目の裁判で地動説を二度と唱えないとした誓約を反故にし「天文対話」を出版したことが理由とされました。ガリレオは第1回目の裁判の判事が記した地動説を唱えないという誓約はしていないという証明書を提出して反論しましたが、このとき第1回目の判決文が提示されました。この判決文にはガリレオのサインもなく第1回目の裁判の判事の手紙やガリレオの主張と大きく食い違っていることから第2回目の裁判のために偽造されたものと考えれています。「天文対話」のローマ教皇庁へ許可を取った経緯についても話がねじ曲げられてしまいました。第1回目の判事は既に死去してり、ガリレオは無罪を証明することができず有罪判決を受けました。

 ガリレオは無期刑になりましたが直ぐに減刑となり軟禁処分になりました。軟禁先は監視付きの家ででした。命が脅かされることはありませんでしたが自宅への帰宅など外出は許可されませんでした。「天文対話」は禁書となりました。ガリレオは1642年1月8日に軟禁先で亡くなりました。その後、ヨハネス・ケプラーやアイザック・ニュートンにより天動説は科学的に否定されましたが、ガリレオ裁判が覆ることはありませんでした。「天文対話」が禁書を解かれたのは1822年のことでした。それから170年後の1992年、ガリレオの無罪が認められローマ教皇がガリレオに謝罪しました。

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