ゴールドラッシュデー(1848年1月24日)
1830年代の終わりに当時メキシコの一部であったカリフォルニアにヨーロッパからジョン・オーガスト・サッターがやってきました。サッターはこの地に農園を造成するため知事の許可を得て広大な土地を入手し開拓を始めました。サッターは周囲からの襲撃を避けるため砦を設け「サッター砦(フォート・サッター)」と名付けました。サッターの農園は多くの人々が働き繁栄しました。
1845年7月、ニュージャージー州出身の大工ジェームズ・ウィルソン・マーシャルがサッター砦にやってきました。マーシャルはサッターからサクラメント川沿いの土地と牛を入手し農民として働くことになりました。1846年に米墨戦争(アメリカ・メキシコ戦争)が始まり、サッターは従軍しました。1847年初頭、マーシャルがサッター砦に戻ると牛が一頭も残っておらず収入源をなくしたマーシャルは土地を失ってしまいました。
全てを失ったマーシャルは大工の経験を活かしサッターと製材所建設の提携を結びました。工場の建設地はサッター砦から64 km離れたコロマのアメリカン川沿いが選ばれました。工事は1847年8月下旬に着工し1848年1月まで続きました。製材所のノコギリは水車によって稼働するようになっていましたが、水車の放水路が狭くて浅いため十分な水量が得られませんでした。そこでマーシャルは水路の拡張工事に着手しました。この水量を変える工事はノコギリの動作に影響し危険なため作業時間外の夜間に段階的に行われました。マーシャルは毎朝工事の結果を確認する日々が続きました。
1848年1月24日の朝、マーシャルは水車の下の水路にいくつかの小さい輝くものを発見。マーシャルはすぐに金であることに気が付きました。マーシャルはサッターに金を発見したことを報告、2人で詳しく調べたところ23 カラット(23金、K23、純度96%)の高品質の金であることがわかりました。ちょうどこの頃、米墨戦争が終結しサッター砦を含むカリフォルニアは米国の領土となりました。金の発見の噂はすぐに全米に広がりました。多くの人々が一攫千金を夢見てカリフォルニアに金を求めてやって来るようになり「カリフォルニアゴールドラッシュ」が始まりました。
さて、このゴールドラッシュの時代にカリフォルニアにやってきた一人の日本人がいます。土佐の足摺沖で遭難し米国の捕鯨船に救出され米国にやって来ていたジョン万次郎こと長濱萬次郎です。萬次郎が遭難・救出されたのは1841年ですが、米国本土にやって来たのは1843年5月です。萬次郎は米国で英語を学び捕鯨船の船乗りとなりましたが、1849年に帰国することを決意し帰国の費用を稼ぐために金鉱山で働いたのです。萬次郎は稼いだ金で1850年にホノルルに渡り日本に帰国する準備を整え、1851年に10年振りに日本に戻ってきたので。
【関連記事】
・ゴールデン・ゲート・ブリッジが建設開始(1933年1月5日)
・サンフランシスコのベイブリッジ開通(1936年11月12日)
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