白瀬南極探検隊が大和雪原に到着(1912年1月28日)
日本初の南極観測隊は白瀬矗陸軍中尉が率いる白瀬南極探検隊です。白瀬隊は1910年11月29日にわずか204トンの開南丸で芝浦ふ頭を出港しました。1912年2月8日、開南丸はニュージーランドのウェリントンに到着し物資を調達し南極を目指して出港しました。しかし南極の夏が終わりに近づき船の安全な航行に支障をきたすため5月初めにオーストラリアのシドニーに入港しました。書記長の多田恵一と船長の野村直吉が資金調達のために一時帰国しました。
シドニーに至るまで開南丸ではいくつかの事件が起きていました。まず航海中に犬ぞりを引く樺太犬たちが原因不明で死にました。また、白瀬隊長と多田恵一書記長、野村直吉船長と隊員の間で確執が生じ、隊員による白瀬隊長の毒殺未遂事件まで起きる事態となっていたのです。
やがて多田らが樺太犬を連れてシドニーに戻ってくると白瀬隊は内紛を和解し、開南丸は1911年11月19日に南極に向けて出港しました。1912年1月16日に南極大陸に上陸し、その地点を「開南湾」と名付けました。しかしながら、開南湾は拠点として環境が悪くグレート・アイス・バリアのクジラ湾から再上陸しました。
同年1月20日、白瀬隊は南極点に向けて出発しましたが悪天候に遭い、さらに装備や食料の不足からそれ以上の前進は断念しました。1912年1月28日、もっとも南極点まで近づいた南緯80度05分西経156度37分付近を「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名し「南極探検同情者芳名簿」を埋めて引き返しました。
開南丸は同年2月4日に南極を出向し6月20日に芝浦ふ頭に無事生還しました。白瀬隊は南極点到達は果たせませんでしたが後の南極探検の礎となったのです。しかし、日本が再び南極探検隊を派遣することができたのは第二次世界大戦後の1956年のことでした。
【関連記事】
| 固定リンク | 0
「今日は何の日」カテゴリの記事
- 日本の立憲政治の象徴「国会議事堂」が竣工(昭和11年 1936年11月7日)(2025.11.07)
- 阪神タイガース記念日(昭和60年 1985年11月2日)(2025.11.02)
- テレビアニメ「原始少年リュウ」放送開始(昭和46年 1971年10月30日)(2025.10.30)
- 2代目「通天閣」が完成(昭和31年 1956年10月28日)(2025.10.28)
- 吉田松陰 弟子たちに思想を託しあの世へ旅立つ(安政6年 1859年10月27日)(2025.10.27)
「天文」カテゴリの記事
- 満月ではない2025年の中秋の名月(2025年10月6日)(2025.10.06)
- 夏の終わりと秋の始まりを告げる|秋分(2025年9月23日)(2025.09.23)
- 幕末の混乱期に大地震|安政江戸地震(1855年10月2日)(2024.10.02)
- 中秋の名月(2024年9月17日)(2024.09.17)
「天気・気象」カテゴリの記事
- 満月ではない2025年の中秋の名月(2025年10月6日)(2025.10.06)
- 夏の終わりと秋の始まりを告げる|秋分(2025年9月23日)(2025.09.23)
- 黒潮の大蛇行の終息でサンマ(秋刀魚)が豊漁|サンマの塩焼きと刺身(2025年9月)(2025.09.21)
- 本当に日本一寒かった日?’|天使の囁きの日(昭和53年 1978年2月17日)(2025.02.17)
- プチャーチンのディアナ号が大破|安政東海地震(1854年11月4日)(2024.11.04)
「歴史」カテゴリの記事
- 日本の立憲政治の象徴「国会議事堂」が竣工(昭和11年 1936年11月7日)(2025.11.07)
- 吉田松陰 弟子たちに思想を託しあの世へ旅立つ(安政6年 1859年10月27日)(2025.10.27)
- 板垣退助らが日本初の近代的政党「自由党」の創立大会を開催(明治13年 1881年10月18日)(2025.10.18)
- 土方歳三の写真が箱館で撮影された根拠(2025.10.03)
- 北海道開拓精神が込められた「日本一きびだんご」(起備団合)(2025.09.25)

コメント