ゴミ箱とANAと函館空港ラウンジ
ときどき函館を訪れるのですが東京に戻るときに函館空港のラウンジを利用します。次の写真はそのラウンジに設置されているゴミ箱です。こういう場所でよく見かける普通のゴミ箱ですが、このゴミ箱を見た瞬間にあることを思い出し嬉しくなりました。
実は過去にこのラウンジを利用したとき、いつもの通り飲んだコーヒーの紙コップをゴミ箱に捨てたところ手がゴミ箱の蓋に引っかかってしまいました。蓋のバネが強くて想定していたより早く閉まってしまったのです。
痛いなと思って見てみたら指先が切れていました。さほどのことではないなと思っていたのですが絆創膏もないのでティッシュで抑えていましたがなかなか血が止まりません。しばらくすると出血しなくなりANAの搭乗時間が近づいてきたのでラウンジを出て搭乗ゲートに向かいました。まもなく傷口が再び開き出血が始まりました。今度はなかなか止まりません。
ここでずいぶん切れていることに気が付きました。そこで搭乗ゲートにいたANAの地上職員の女性にラウンジのゴミ箱で指を切っってしまったのでと事情を説明して絆創膏をもらえないかお願いしました。搭乗ゲートに絆創膏があるはずもなく、ANAの地上職員の方は自分の指を見てずいぶん心配してくれ、わざわざ事務所に電話をして絆創膏を持って来てくれたのです。そして自分が絆創膏を装着し終わるのを確認すると、大丈夫ですかとの声がけの後に、空港のラウンジと相談して同じことが起こらないように対策を考えると言われたのです。
飛行機に乗った後も指先はずきずきしていましたが絆創膏のおかげで血も止まりました。家に到着した頃には痛みもなくなっていたのです。そして月日が経過し、この怪我のことはいつの間にか忘れてしまっていたのです。
そして先日、函館を訪れた復路でいつものように函館空港ラウンジに立ち寄りコーヒーを飲みました。紙コップを捨てようとしたときに、あのときのANAの地上職員さんの対応を思い出したのです。
なぜですって?ゴミ箱の蓋の下の方に手が挟まっても怪我をしないようにクッションが貼られていたからです。
函館空港のラウンジはカード会社のラウンジでANAラウンジではありませんが、あのときに地上職員さんが言っていた通りANAと空港ラウンジで相談して対策を施してくれていたのです。思わず感動して撮影した一枚の写真がこのゴミ箱の写真だったというわけです。
そして今回も無事に搭乗してお気に入りのAnother Skyを聞きながら出発を待ったのでした。
ANA「音楽につばさを〜テレワーク演奏〜」:Another Sky(ANA Team HND Orchestra)<ANAグループの有志社員が音楽をお届けします!第2弾>
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