日本で初めて飛行機で飛ぶことに挑戦した鳥人幸吉
世界で初めてグライダーによる飛行に成功したのはイギリスの工学者ジョージ・ケイリーです。ケイリーは1849年に三葉機を製作し10歳の少年を乗せて滑空に成功しました。1853年には単葉のグライダーを製作し使用人に操縦させて100mを超える飛行に成功しました。ケイリーは実用的な航空工学の研究も勧めその成果から「航空学の父」と呼ばれています。
しかし、飛行機で空を飛ぶことに挑戦したのはケイリーが最初ではありません。たとえば古い記録によるとイスラムのイブン・フィルナースが875年に羽ばたき式飛行機(オーニソプター)で飛行を試みました。フィルナースの飛行機は着陸に失敗し墜落してしまいましたが飛行機で滑空を試みたのは間違いないようです。
他にもケイリー以前に飛行機で空を飛ぶことに挑戦した人はいますが、日本でも後に鳥人幸吉と呼ばれた江戸時代中期の岡山の表具師(経師)の浮田幸吉が鳥に興味をもち鳥のように空を飛ぶことができないかと研究を始めました。浮田はハトをつかまえて翼と胴体の大きさや重さの割合を調べ、人間も同じ割合の翼を装着すれば空を飛べると考えました。
浮田はさっそく翼を製作し両腕で羽ばたいて空を飛ぼうとしましたが人間の腕の筋力ではとてもハトのように空を飛べないことに気が付きました。そこで浮田は大きな翼で滑空するトビや鷹を参考に人間の体重を支えることができる大きな翼の製作に取りかかりました。
浮田は表具師の知識と経験と技術を活かし試行錯誤を重ねながらついに竹を骨組みに紙と布を張り渋柿の塗料で強度を高めたハンググライダーのような翼を作りあげました。
1785年の夏のある日、浮田は岡山城の次に高い旭川に架かる京橋の欄干からこの翼で飛び立ちました。一説によればその飛行距離は50メートルほどで飛行時間は約10秒間だったともすぐに落下したとも伝えられています。飛行実験も1度きりだったのか複数回だったのかわかりませんが、河原で夕涼みしていた町人の間で騒ぎとなり、岡山藩に捕らえられて岡山所払いの処分を受けました。
岡山を追放された浮田は駿河国駿府(静岡市)に移りました。そこで備前屋という木綿を扱う店を開きましたがその店は養子とした甥に継がせました。その後、浮田は腕の良い歯科技師「備考斎」として名を馳せましたが、空を飛ぶ夢を持ち続け駿府でも飛行実験を行ったと伝えられています。
復元された模型を見ると浮田のグライダーは本格的な構造をしています。ケイリーの前にグライダーの飛行を成功させていたのであれば浮田は日本初どころか世界初の空を飛んだ人になります。また、浮田が飛行機の研究開発を続けることができていたら世界に先んじて日本が実用的な飛行機を飛ばしていたかもしれません。
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