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2021年12月19日 (日)

日本人が初めて南極点に到達(1968年12月19日)

 世界で初めて南極点に到達したのはノルウェーの探検家ロアール・アムンセンと4人の隊員です。1911年12月14日のことでした。この日は「南極の日」とされています。同じ頃、イギリスのロバート・ファルコン・スコットも南極点到達を目指していましたが、スコットの隊が名極点に到着したのはアムンセンの隊より1ヶ月後でした。1956年、米国は南極点付近に観測基地を建設しましたが、アムンセンとスコットの偉業に敬意を払いこの基地を「アムンセン・スコット基地」と名付けました。 

 日本の南極観測隊が初めて南極を訪れたのは1912年(明治45年)1月のことでした。白瀬矗(しらせすぐ)陸軍中尉が率いる白瀬隊は木造の漁業用帆船を改造した「開南丸」で1911年11月29日に芝浦ふ頭を出発、1912年1月16日に南極大陸に上陸し、その地点を「開南湾」と名付けました。開南湾は拠点とするには不向きだったため再出発してグレート・アイス・バリアのクジラ湾に移動し上陸しなおしました。このとき、南極点探検から戻ったアムンセン隊のフラム号と遭遇しています。

 白瀬隊は同年1月20日に南極点に向けて出発しますが、悪天候や装備・食料の不足から南極点到達は断念しました。1912年1月28日、南緯80度05分西経156度37分付近を「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名し「南極探検同情者芳名簿」を埋めて引き返しました。

 開南丸は同年2月4日に南極を離れ6月20日に芝浦ふ頭に帰着しました。白瀬隊は南極点到達は果たせませんでしたが、学術部長として参加した武田武田輝太郎が南極の詳しい学術調査を行い現在の南極観測の礎となる貴重な調査結果を残しました。しかしながら、日本は第二次世界大戦で南極探検に関する権利をすべて失ってしまいました。

 日本が南極観測を再開できるようになったのは1956年のことでした。1957年1月24日、第一次南極地域観測隊が南極観測船「宗谷」で45年ぶりに南極大陸への上陸を果たしました。そして1968年12月19日に村山雅美隊長率いる第9次越冬隊の極点調査旅行隊が日本人として初めて南極点に到達しました。この南極点到達には雪上車が使われ、向かった先にはアムンセン・スコット基地がありました。アムンセン隊・スコット隊に比べれば楽な行程だったに違いありませんが、凍傷になったり、怪我をしたり、立ち往生した雪上車を掘り起こしたりとたいへんな苦労がありました。そして日本人として初めて白瀬隊が果たせなかった南極点到達を達成したのです。

 さて南極点とは天体の最南端である南緯90度の地点と定義されており、アムンセン・スコット基地の敷地内に位置します。南極点はあくまでも地理学的に定義される南緯90度の地点です。一般に方位磁石のS極は南極を向くと言われていますが、地磁気の南磁極は南緯90度ではなく南極点と一致していません。南極点は大陸移動や地震などによる地殻変動によって地球の自転軸が変化するとその位置が変化します。

 そのためアムンセン・スコット基地では継続的に地理学的な南極点の位置を測定し毎年1月1日にその地点に「ジオグラフィック・ポール」と呼ばれる標識を立てています。この標識には南極点の標高とともに米国の星条旗、アムンセンとスコットに関する簡単な説明が記載されています。過去の南極点の標識も残されるため南極点に移動の様子がわかります。

アムンゼン・スコット基地とジオグラフィック・ポール
アムンゼン・スコット基地とジオグラフィック・ポール

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