電話創業の日(1890年12月16日)
米国のグラハム・ベルが電話の特許を取得したのは1876年3月です。同年5月、ベルはペンシルバニア州フィラデルフィアで開催された万国博覧会に電話機を出展し金賞を受賞しています。この頃、ボストンに留学していた東京音楽学校校長の伊沢修二と後の司法大臣の金子堅太郎がベルの研究所を訪問し電話機を見学しました。このとき2人は実際に電話機を使い通話しました。電話機の通話に初めて使用された外国語は日本語だったのです。日本の工部省はいち早く電話機に注目し1877年(明治10年)にベルの電話機を2台を輸入して通話など実験を行い、1878年(明治11年)に電信局製機所が国産電話機の開発に成功しました。しかし、当時の日本は西南戦争が始まるなど明治維新後の混乱時期にあり電話事業の推進は各国に後れをとりました。
幕末の佐賀藩士の石井忠亮は戊辰戦争で政府軍として海軍で活躍しましたが明治維新後は工部省に移動し土木や電信の事業を担当しました。1875年(明治8年)ヨーロッパ各国の電信事業を視察したことがきっかけで1880年(明治13年)に電信局長に就任しました。1883年(明治16年)に中国上海の電話事業を視察した石井は電話の重要性を説き国営電話事業の開設に取り組みました。
1890(明治23)年12月16日、東京市内と横浜市内の間で日本初の電話事業が始まりました。電話機はイギリスから輸入したガワーベル電話機を国産化したものが使われました。この電話はベルが開発した受話器とフレデリック・A・ガワーが開発した送信機を組み合わせたものです。
現在の電話は電話番号を入力するとすぐに相手の電話につながり通話することができますが昔は電話交換局という設備が必要でした。電話をかけるときにはまず電話交換局の交換手に通話したい相手の電話番号を伝えて電話を切ります。交換手が相手の電話と回線をつなぐと電話が折り返しかかってきて相手と通話ができるいうになります。日本で初めての電話交換局は千代田区に開設され、昼間女性7名、夜間男性2名の交換手の体制で対応しました。交換手がこの人数で間に合ったのは利用者が少なかったからです。最初の電話契約数は東京155世代、横浜42世帯の合計197世帯、電話所(公衆電話)16台しかありませんでした。
最初の電話料金は基本料金40円の定額制で市内通話は無料でした。東京と横浜の市外通話は5分間15銭、公衆電話は市内通話のみで5分5銭でした。1890年当時のそば一杯の値段は1銭、白米一升8.9銭でしたから最初の電話基本料金はずいぶん高値だったのです。これが契約者数が少なかった理由でもあります。当時、電話を見たことも使ったこともない庶民の間では電話機が発火して火事になる、電話で通話すると病気が移るなどの流言も伝わっていたようです。
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