日本人初の宇宙飛行(1990年12月2日)
1981年4月に米国のスペースシャトル・コロンビア号が宇宙飛行に成功すると日本人として初の宇宙飛行士の登場が期待されました。日本人初の宇宙飛行士は1988年初めに計画された毛利衛さんのスペースシャトルの飛行となる予定でしたが、1986年のチャレンジャー号の爆発事故でスペースシャトルの打ち上げが中断となりました。再開後も安全性の確認のミッションなどが優先され、毛利さん搭乗のミッションは延期されました。
1989年3月、TBSは創立40周年の事業として「宇宙特派員計画」を企画、ソビエト連邦宇宙総局と1,400万USドルで宇宙ステーション・ミール滞在の協定を結びました。TBSは社内で宇宙飛行士を公募し、記者の秋山豊寛さんとカメラマンの菊地涼子さんを選出しました。両名は1989年10月から1990年11月まで星の街の宇宙飛行士訓練センターで訓練を受け、1990年11月に秋山氏がメインクルー、菊池氏がサブクルーと決まりました。
秋山氏は同年12月1日に宇宙飛行士に承認され翌日の12月2日にカザフスタンのバイコヌール宇宙基地から打ち上げられた宇宙船ソユーズTM-11に搭乗しました。ソユーズTM-11は12月3日にミールとドッキングし、秋山さんはミールで8日間を過ごし12月10日に地球に帰還しました。これによって秋山さんは日本人初の宇宙飛行士となりました。また世界で初めて宇宙飛行をしたジャーナリストになりました。
TBSは打ち上げの様子を生放送で伝えました。秋山さんは宇宙からの第一声として「宇宙は混とんとしている」と述べようと考えていましたが実際に宇宙は混とんとしておらず周回軌道に入った後スタッフと交信していました。その後、生放送が本番となりTBSの松永邦久アナウンサーが秋山さんに呼びかけましたが、秋山さんは思わず「本番ですか?」と業界人らしい応答をしています。
毛利さんがスペースシャトルで宇宙に旅立ったのは1992年9月12日です。スペースシャトルエンデバーのミッション(STS-47)に搭乗し、ペイロードスペシャリスト(搭乗科学技術者)として搭乗し、二人目の日本人宇宙飛行士となりました。菊地涼子さんは残念ながら宇宙飛行を経験することはできませんでした。
【関連記事】
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