クリスマスツリーの由来
クリスマスシーズンになると飾られるクリスマスツリー。聖樹とも呼ばれるこの木にはいったいどんな由来があるのでしょうか。
旧約聖書の創世記に出てくる「エデンの園」の中央には2本の木が立っています。ひとつは「生命の樹」、もうひとつは「知恵の樹」です。クリスマスツリーはこの2本の木のうち「知恵の樹」の象徴とされています。
知恵の樹はとても美味しそうな実をつけ、これを食べると神がもつ善悪の知識を得ることができるとされています。そこで唯一神で万物の創造者であるヤハウェアは知恵の樹の実を禁断の果実とし人間が食べることを禁じました。
エデンの園で最初に創造された人間はアダムとイブ(エバ)でした。あるときイブは蛇に禁断の果実を食べるようにそそのかされて口にしてしまいます。そしてイブはアダムに禁断の果実を食べるように勧め、アダムも禁断の果実を食べてしまいます。アダムとイブは善悪の知識を得ましたが、自分たちが裸であることを恥ずかしいと思うようになりイチジクの葉で下半身を隠しました。
アダムとイブが掟を破って禁断の実を食べたことを知ったヤハウェは2人をエデンの園から追放しました。2人が生命の樹の実まで食べて永遠の命を得るおそれがあったからです。この事件が失楽園です。キリスト教ではアダムとイブの罪は原罪とされ、全人類に受け継がれることになりました。結果として、人間は必ず死を迎え、男は労働の苦役、女は出産の苦しみが課せられるようになったとされています。アダムとイブをそそのかして知恵の樹の実を食べさせた蛇は地を這いずる姿にされたのです。
さて、ながなかと知恵の樹について書きましたがクリスマスツリーは元々はキリスト教とは関係なくその起源はドイツと考えられています。北ヨーロッパの古代ゲルマン人は冬至に祭りをしていましたが、彼らは樹木を信仰しており生命の象徴である樫の木を崇拝していました。やがてこの地域にキリスト教が伝道されるようになりましたが、この樹木信仰の人々をキリスト教に改宗させるにあたり樹木信仰は残しつつ樫の木を樅(もみ)の木に変えるようにしました。樅の木はキリスト教で崇拝されていた樹木で協会の建材などとして使われています。その三角形の容姿が神を頂点とする三位一体を表し神の力を宿すものと考えられていました。こうして樹木崇拝とキリスト教が結びついていったのです。サンタクロースも北欧の信仰とキリスト教が結びついてものです。
世界で初めて樅の木がクリスマスツリーとして飾られたのは1419年のドイツのフライブルクのパン職人の信心会によるもとのという説があります。また1510年に宗教改革を推進したマルティン・ルターがろうそくを灯したクリスマスツリーを子ども部屋に飾ったという説、1539年にドイツのルター派がストラスブールの大聖堂にクリスマスツリーを飾ったという説があります。いずれにしろ最初はドイツ国内だけで飾られていたクリスマスツリーですが数百年を経て全世界で飾られるようになりました。
日本で初めてクリスマスツリーが飾られたのは1860年のことです。プロセイン王国の公館に飾られました。1874年には築地大学(現:明治学院)で行われたクリスマス・パーティーにクリスマスツリーが日本初のサンタクロースとともに登場しました。やがてクリスマスは日本全国へと広がり、1920年代後半には日本の年中行事として定着しました。
最近、街中に飾られるクリスマスツリーは光に満ちあふれていてとても綺麗です。特に青色LEDが登場してからは光が多彩になりました。
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