黄門忌(1700年12月6日)
旧暦の元禄13年(1700年)12月6日(新暦1700年1月14日)は「黄門忌」です。水戸黄門として有名な水戸藩第二代藩主の徳川光圀公が他界した日です。
光圀公は講談、諸説、テレビドラマ「水戸黄門」の影響で諸国漫遊のイメージがありますが、実際には関東地方から外へ旅したことはなかったようです。光圀公の業績は日本の歴史をまとめた「大日本史」の編集ですが、家臣を諸国に派遣して調査や資料収集をさせたり、自身が水戸藩領内を巡見したりしたことなどから諸国漫遊の物語が創作されたと考えられています。
「大日本史」は光圀公の代で終わらず歴代藩主が受け継ぎ、明治39年(1906年)に全397巻226冊にまとめられました。光圀公が「大日本史」の編纂を志したのは1645年、完成までに261年もかかったのです。
さて、水戸黄門の「黄門」とは古代中国の中央官庁の役所「門下省」に由来します。この門下省の門は黄色だったため、門下省は黄門と呼ばれていました。門下省の仕事は上奏分や詔勅の審議でしたが、日本ではこの仕事は中納言が担当していました。門下省と中納言の仕事の内容が似ていたので、中納言のことを黄門と呼ぶようになったのです。
ですから、水戸黄門とは水戸藩で中納言(当時は権中納言)の役職にあった者のことです。もちろん、光圀公は水戸黄門に間違いありませんが、水戸黄門は光圀公以外に6人いました。
「7人の水戸黄門」は次の通りです。なお黄門忌は光圀公の忌日です。
頼房(よりふさ)・光圀(みつくに)・綱條(つなえだ)・治保(はるもり)・齋脩(なりのぶ)・齋昭(なりあき)・慶篤(よしあつ)
水戸藩は齋昭(なりあき)の代に江戸幕府と対立し波乱万丈となりました。そのような中、慶篤(よしあつ)はビスケットの製法を入手したそうです。なぜビスケットが必要としたのかは下記の「ビスケットの日」をご一読ください。
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