日本初のグライダーの飛行に成功(1909年12月5日)
明治37年(1904年)に起きた日露戦争において日本軍は中国大連の旅順港を空から偵察する必要がありました。しかし、ライト兄弟が初飛行に成功したのが1903年でしたから当時は偵察に使えるような飛行機はありませんでした。
明治42年(1909年)、いちはやく航空戦力の有用性に気が付いた海軍司令部参謀の山本英輔は航空機の研究の必要性をまとめた意見書を上司の山屋他人に提出しました。山根は意見書を海軍中央当局に提出しました。山根は陸海軍共同での航空機の研究を提案しましたが、陸軍は応じませんでした。山本は兵科から気球搭乗経験のあった相原四郎と機関科から小濱方彦を選び航空機の研究に着手しました。
この頃、フランス海軍のル・プリウールがフランス大使館に派遣されていました。プリウールは発明家でもありグライダーの製作をしていました。プリエールは相原の家の近くに住んでおり、やがて2人は一緒にグライダーの開発を行うようになりました。そして1909年8月に最初の飛行実験を行いましたがこのときは失敗に終わりました。
日本軍も航空機の研究の必要を認識し1909年7月30日に陸海軍の臨時軍用気球研究会の設立を決定しました。8月30日に大まかな研究内容が決まり11月には具体的な研究テーマが決まりました。
この研究会の会長には陸軍中将の長岡外史が就任し、委員には東京帝国大学で航空機の研究を行っていた田中舘愛橘がいました。
長岡は陸軍参謀だった1894年にある衛生兵がまとめた航空機研究の提案書を受け取っていましたが、人が乗って空を飛ぶ機械を作れるわけがなく、たとえ作ることができても軍用には使えないとして提案を却下しています。提案書を書いた衛生兵は1891年に日本で初めて模型のプロペラ飛行機を飛ばすことに成功した二宮忠八でした。二宮は軍が飛行機に興味がないと判断し独自で飛行機の研究を進めましたが1903年のライト兄弟の初飛行の成功を聞き飛行機の研究を断念しました。二宮はライト兄弟が初飛行に成功する12年も前に模型ながら動力飛行を成功させていたのです。もし長岡が二宮の提案を理解していたら世界初の動力飛行機は日本で開発されていたかもしれません。
航空機に興味をもっていた相原は田中舘とは知り合いでプリウールを紹介しました。そして相原、プリウール、田中舘は意気投合し3人で人を乗せて飛ばすことができる動力飛行機の開発をめざすことにしました。そして手始めに相原とプリウールのグライダーを飛ばすことにしました。プリウールが設計したグライダーの模型を用いて風洞実験を行い、田中舘が航空学に基づいて改良を重ねました。そして1909年11月にグライダーの実機の製作に取り掛かりました。
同年12月5日、相原、プリウール、田中舘は第一高等学校の校庭でグライダーの飛行実験を行いました。無人のグライダーを人力で引っ張ると機体が浮かび上がったため、プリウールや相原が搭乗しましたが重すぎて機体が浮き上がりませんでした。そこで当日見学に来ていた子どもを搭乗させてみたところ機体は¥が見事に浮き上がりました。これが日本初の人を乗せたグライダーの飛行の成功となりました。
大人が乗ったグライダーを浮き上がらせるには人力では不十分という判断から三越百貨店創業者の日比翁助が用意した自動車で大人が乗ったグライダーを牽引してみましたが浮き上がりませんでした。校庭が狭くて十分に牽引できなかったこと、グライダー自身が動力を取り付けられるように設計されて重量が大きくなっていたのが失敗の原因でした。
12月9日、3人は上野不忍池で改良したグライダーで飛行実験を行いました。プリウールが搭乗し1回目の飛行は失敗しましたが、2回目は見事に浮き上がり100メートルの飛行に成功しました。その後、相原が搭乗し飛行を試みましたが、20メートル上昇したところで牽引ロープが切れて墜落しました。この様子を見ていた長岡外史ら見学者は騒然となりましたが池に墜落したため相原は事なきを得ました。12月26日にはプリウールは高度10メートル、距離200メートルに及ぶ飛行に成功しています。
相原とプリウールの日本初のグライダーの飛行の成功をきっかけとして、臨時軍用気球研究会は航空機の研究を進めていきます。研究会には後に日本における動力飛行機の初飛行に挑戦した日野熊蔵や徳川好敏も参加しました。
相原は1910年3月に航空機の購入や操縦を学ぶ目的でドイツに派遣されました。相原は帰国していたプリウールとベルリンで再開したのち日本に戻りました。1911年1月4日、相原が搭乗していた飛行船が墜落、相原は墜落時の衝撃が原因で8日に他界しました。相原の後継としてフランスに派遣されのちに日本海軍飛行機の元祖と呼ばれた金子養三は相原を「我国航空界のパイオニア」と述懐しています。
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