清水トンネルが貫通(1929年12月29日)
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」。この有名な川端康成の「雪国」の冒頭の一節に登場するトンネルは上越線の群馬県と新潟県の境い目にある清水トンネルのことです。
かつて関東と新潟を結ぶ路線は高崎から長野と直江津を経由する信越本線でした。信越本線には難所の標高956メートルの碓氷峠があり、また長距離だったため関東と新潟まで急行列車11時間もかかりました。大正14年(1914年)に福島県の郡山から会津若松を経てに新潟に向かう磐越西線が開通しましたが関東と新潟を結ぶ路線としては依然として不便だったのです。
関東と新潟を短時間で結ぶには群馬県と新潟県の境目にある標高1,977メートルの谷川岳を抜ける必要がありました。当時の掘削技術および財政状態では長いトンネルの建設は困難でした。そこでトンネルの長さを短くするために麓付近での掘削を避けて、なるべく標高の高いところを掘削することになりました。トンネルの入り口と出口が高い位置となるため列車はトンネルの前後で昇降しなければなりません。列車は急坂を昇降することができないため、トンネル前後に緩勾配のループ線を敷設することになりました。これによって清水トンネルの長さを短縮することができました。それでも当時としてには東洋で最長のトンネルの建設に取り組むこになったのです。
工事は鉄道省が担当し、1919年(大正8年)6月に測量に着手しました。当時、この地域はまさに陸の孤島で豪雪地帯であり測量は雪のない数カ月間で行わなければなりませんでした。そのため測量には1921年(大正10年)秋まで2年以上の歳月がかりました。
工事は1922年(大正11年)から始まり、まず同年8月18日に群馬県側の高崎口から着手されました。新潟県側の長岡口の工事は1923年(大正12年)10月6日から始まりした。工事は難航し多くの死傷者がてましたが1929年(昭和4年)12月29日にトンネルが貫通しました。そして1931年(昭和6年)3月14日、全長9,704メートルの最長トンネルが完成しました。
上越線の土樽ー土合を結ぶ清水トンネルが開通したのは1931年(昭和6年)9月1日です。清水トンネルの完成によって上野と新潟の路線は98キロメートル短縮され、11時間かかっていた所要時間も7時間となりました。清水トンネルは関東と新潟を結ぶ人流および物流を支えましたが、単線だったため輸送量を増強できなくなりました。そのため清水トンネルに併設する新清水トンネルが建設されることになりました。1967年(昭和42年)9月、下り線専用の全長13,490メートルの新清水トンネルが開通したことによって、清水トンネルは上り線専用となりました。新清水トンネルが清水トンネルより長いのは掘削技術の向上によってトンネルの前後にループ線を設置する必要がなくなったからです。
川端康成がノーベル文学賞を受賞したのは1968年(昭和43年)です。このとき清水トンネルは既に上り専用線になっていました。清水トンネルを抜けて新潟に向かう「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」は体験できなくなっていたのです。
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