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2021年11月 8日 (月)

南極観測船「宗谷」が南極に向けて初出航(1956年11月8日)

 1951年に国際地球観測年(: International Geophysical Year、IGY)のプロジェクトが提案されると日本は敗戦後の地位を向上するためこの活動に参加することにしました。当時、日本は連合軍の占領下にあり、米国が領有する地域の赤道観測を計画しました。しかしながら、米国は赤道観測は自国で行うとして日本の申し入れを断りました。そこで日本は計画を南極観測に変更しました。

 1955年のIGY分科会で日本の参加について議論されましたが、諸国から日本には南極観測の資格がないと反対されました。日本は明治時代に南極観測を行った白瀬隊の実績を説明しましたが、日本は第二次世界大戦の戦犯国で国際社会に復帰する資格はないと一蹴されました。しかし、米国とソビエト連邦が日本の参加を支持したため、分科会の最終日に日本の参加が認められました。この決定により1956年に永田武隊長率いる南極地域観測予備隊が結成され、この予備隊は後に第1次南極地域観測隊となりました。

 1956年11月8日、南極観測船「宗谷」は第1次南極観測隊を乗せて東京湾を出向しました。宗谷には隊員の他に22頭の樺太犬が乗っていました。犬たちの役割は南極で犬ぞりを引くことでした。

宗谷(船の科学館)
宗谷(船の科学館)

 第1次観測隊は1957年1月に南極に到着、接岸が困難と考えられていたプリンスハラルド海岸の東オングル島に昭和基地を設営しました。永田隊長は現場の判断で越冬隊を編成します。そして宗谷は第1次越冬隊と犬たちを残して日本に帰国したのです。残された犬の中には後に極寒を生き延びて発見されたタロとジロがいました。

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