日本初の火力発電所が日本初の送電を開始(1887年11月29日)
世界で初めて発電所をつくったのは米国のトーマス・アルバ・エジソンです。エジソンは電球を広めるため発電や給電のシステムを開発し、ニューヨークのパルストリートにエジソン中央発電所を建設しました。この発電所は火力発電所であり燃料は石炭が使われていました。1882年に6基の発電機を稼働させ540キロワットの直流をニューヨーク市に供給しました。
この頃、日本では渋沢栄一と大倉喜八郎が電力会社を設立するべく日本政府に働きかけを行い、1883年2月に東京電燈会社が設立の許可が下りました。東京電燈は「日本のエジソン」「電力の父」と呼ばれた藤岡市助を技師長として採用し1886年7月に企業活動を開始しました。
藤岡はニューヨークでエジソンに会いエジソン式の発電技術を採用を決めました。こうして日本橋南茅場町に日本初の火力発電所が建設され1887年11月29日に送電を開始しました。
南茅場町の火力発電所に設置されたのは30馬力の蒸気機関で25キロワットの直流発電機1台のみでした。電圧は210ボルトで、この発電所で供給できる電力はわずか1600個の白熱電球を点灯させるぶんしかありませでした。しかし、電気は電燈にしか使われおらず送電先も限られていたので十分な供給量だったのです。また発電所が発電の目的が電燈に限られていたので電燈局と呼ばれました。
東京電燈は都内にほぼ同時に5つの電燈局を建設しました。南茅場町の電燈局の名称は第二電燈局です。現在は長距離の送電に有利な交流が採用されていますが、直流の送電距離は数キロメートルのため規模の小さい発電所を複数建設する必要があったのです。
1895年に浅草集中火力発電所が交流の送電を開始すると、第1、第2、第3電燈局は配電所となり、第4、第5電燈局は廃止となりました。浅草の火力発電所から電燈局へは交流で送電されましたが、送電先の設備が直流用だったため電燈局は直流の送電を続けました。1923年の関東大震災をきっかけに設備が更新され交流送電に変わりました。
日本で初めて火力発電所が送電を開始してから130年以上が経過しています。当時は電気の利用は電燈の点灯に限られていましたが、いまや電気がなければ何もできない状態です。
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