進化の日(1859年11月24日)
11月24日はイギリスのチャールズ・ダーウィンが1859年同日に「種の起源」を出版したことから進化の日とされています。
ダーウィンは1809年に裕福な医師の家庭に生まれました。子どもの頃から博物学に興味があったダーウィンは医師になるため1825年にエディンバラ大学に進学し医学と地学を学びました。しかしながら、ダーウィンは医師の仕事は自分には向かないと考え1827年に退学します。自然科学に興味をもち昆虫採集や動物のはく製の製作技術を学んだのもこの頃でした。
ダーウィンの父は医師を諦めたダーウィンを牧師にするため1827年にケンブリッジ大学神学部に転学させました。ダーウィンは牧師と博物学の仕事は両立できると考え父の提案を受けましたが、ケンブリッジ大学においても博物学や昆虫採集に没頭しました。ここで博物学者ジョン・スティーブンス・ヘンズローと出会いその後の博物学の研究に大きな影響を受けました。また地層学者アダム・セジウィッグのもとで地学的能力を発揮しています。
1831年にケンブリッジ大学を卒業したダーウィンはヘンズローの紹介で南米の探検に向かうイギリス海軍の測量船ビーグル号に研究員として乗船することになりました。ダーウインはビーグル号の航海で様々な動植物やその化石の調査を行いました。ダーウィンはこの航海における調査を通じて生物は環境に適用するように分岐して多様な種を生じると考えるようになり1938年に自然選択説に着想しました。そして長い時間をかけて自説の研究を重ねていきました。
ダーウィンが研究をしている間にイギリスのアルフレッド・ラッセル・ウォレスは独自の調査結果からダーウインの自然選択説と同様な考えを着想しました。やがてウォレスはダーウィンと手紙でやり取りするようになり、1958年にダーウインに自説の論文を送りました。当時、ダーウィンは家族の看病をしており余裕がありませんでした。ダーウィンは急ぎまとめた自身の論文とウォルスの論文を知人の学者に送り、それらの取り扱いを委ねました。知人はダーウィンとウォルシュの論文を共同で発表しました。ウォルシュには事前の相談はありませんでしたが、ウォルシュは名高いダーウィンとの共同発表に満足しました。ウォルシュは自然選択説の有力な学者の仲間入りをしたのです。
1859年11月24日、ダーウィンは長年の自分の研究をまとめた著書「種の起源」を発表しました。ダーウィンはこの著書で生物は自然選択、生存競争、適者生存などの要因によって環境に適応するように分岐し多様な種を生じると説明しています。
ダーウインは自説を自然の生物の営みに限定していましたが、ダーウインの学説は「優れたものは変革して生き残る」というような誤った解釈で人間の社会活動に思想として適用され、政治や経済そして全体主義や民族主義に利用されるようになりました。しかし、ダーウィンの進化論は優れた生物が意図的に環境に適応して生き残るという意味ではなく、環境に適応できた生物が結果として生き残ることができるというものです。
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