世界初のインスタントカメラ発売(1948年11月26日)
カメラの基本原理であるピンホール現象は紀元前3世紀から6世紀頃にまとめられたアリストテレスの「問題集」の中に言及があり、最初は太陽の観察などに利用されました。人物や景色などを模写する目的のカメラの原型カメラオブスクラが登場したのは15世紀頃です。
このカメラオブスクラはスクリーンに映った像を眺めるだけで、像を写真として残すことはできませんでした。その後、感光材が発見され世界初の銀塩写真が撮影されたのは1822年です。その後、カメラと感光材が改良され1839年にジルー・タゲレオタイプというカメラが開発されました。しかし、最初のカメラは写真を撮影するのに長い露光時間を必要としました。わずかな時間で写真が撮影できるようになったのは1871年以降です。
銀塩カメラの写真を得るには撮影したフィルムに現像・定着・停止といった操作を行い、印画紙に焼き付ける必要があります。写真屋さんにフィルムを持ち込んでプリントしてもらう必要があり、現在のデジカメで当たり前にできている撮影直後に写真を見ることはできなかったのです。
米国の科学者・発明家のエドウィン・ハーバート・ランドは自身が発明した偏向フィルムを事業化するため研究所を設立しました。サングラスやカメラのフィルターなどを開発し事業は成功を収め、1937年に社名を「ポラロイド」に変更し、偏光フィルムをポラロイドという名前で売り出しました。このポラロイドは光学分野でさまざまな目的で使用されるようになり、ポラロイド社は広く光学分野の仕事を手掛けるようになりました。
1940年代半ば、ランドは3歳の長女ジェニファーを連れてニューメキシコ州サンタフェに旅行しました。ランドがジェニファーの写真を撮影すると、ジェニファーは「どうして撮ったばかりの写真を見ることができないの?」と言いました。この娘の言葉でランドはインスタントカメラを思いつきました。ランドはさっそくインスタントカメラの研究を始め、フィルムだけで現像から停止までが行える拡散転写法という写真技術を発明しました。
1947年2月21日、ランドはアメリカ光学学会でインスタントカメラのデモンストレーションを行いました。そして1948年11月26日、ポラロイド社は「ポラロイドランド95」と名付けたインスタントカメラをボストンのデパートで発売しました。このときポラロイド社はこのカメラを60台生産し3台を確保、残り57台を発売しましたが初日に完売したそうです。撮影してすぐに写真を見ることができるポラロイドカメラはその後も改良が重ねられ、1960年代には全世界で販売されるようになりました。
カメラのディスプレイで撮影直後の写真を見ることができるデジカメが主流になると、ポラロイドカメラはほとんど使われなくなりました。しかしながら、銀塩カメラの常識を打ち破って登場したインスタントカメラはランドの娘の素朴な疑問に応えるものだけではなく、撮影した像を写真として残す技術を開発した最初期の技術者たちの夢を叶えたものだったと言えるでしょう。
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