日産自動車フェアレディZを発表(1969年10月18日)
日産自動車のフェアレディZは日本を代表するスポーツカーのひとつです。
もともと「フェアレディ」とは日産自動車が1952年にダットサンのブランドで販売を開始したオープンカーの名前でした。1960年代後半に発売されたフェアレディは数々のレースで優勝を飾りスポーツカーとして輝かしい成績を残しています。
しかしながら、北米でダットサンの市場を拡大しようとしていた北米日産会社にとって小型スポーツカーのフェアレディの市場競争力は必ずしも満足できるものはありませんでした。そこで北米日産の片山豊社長は北米でダットサンを拡販するには北米ユーザーのニーズに応えたスポーツカーの開発が必要であると日産本社へ要求しました。日産本社はこの要求にすぐに応じませんでしたが、片山社長の熱意を認め新しいスポーツカーの開発を決定しました。片山社長は自分が要望するスポーツカーのコンセプトを伝えました。このとき片山社長はスポーツカーの開発部門に勝利と激励の意味を込めてZ旗を送りました。
Zを旗印として開発されたスポーツカーは1969年10月24日開幕の第16回東京モーターショーに先駆けて同年10月18日に発表されました。日本では翌11月から発売開始となり、Z、Z-L、Z432の3タイプが発売されました。Zは4速MT SOHC L20型エンジンのベースモデル、Z-Lは5速MT SOHC L20型エンジンで内装を充実させたモデル、Z432は5速MT 4バルブ、3キャブ、2カムのDOHC S20型エンジンを搭載した高性能モデルです。またレース用車両としてZ432Rも生産されました。海外ではSOHC L24型エンジンを搭載したダットサン240Zが発売されました。
また、Zの特徴的な凹んだライトのフロントマスクとルーフからトランクにかけて滑らかに傾斜するファストバックのデザインは当時の海外のスポーツカーの匹敵する洗練されたデザインでした。
Zはフェアレディの後継車種として発表されましたが、フェアレディZと名付けられたのは日本国内のみです。海外ではDATSUN ZやNISSAN Zと呼ばれておりフェアレディという名前は使われていません。本家のフェアレディの最終モデルフェアレディ2000はZが発売後も1970年まで生産が続けられました。
片山豊社長は世界各国で「Z-carの父」として知られ、1998年には米国自動車殿堂入りを果たしています。
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