宇宙開発記念日(1957年10月4日)
1957年10月4日はソ連のスプートニクス計画で打ち上げられたスプートニクス1号が世界初の人工衛星となったことから宇宙開発記念日とされています。
現在における宇宙開発には軍事目的という側面もありますが、最新技術の粋を集めた宇宙探査や未来の宇宙旅行の実現など軍事から離れた目的の側面が大きくなってきました。しかし、宇宙開発の起源は冷戦下における米国とソ連の軍事的な緊張した状況下での宇宙開発競争にありました。
第二次世界大戦中にドイツによって開発されたロケットが兵器として有用であることが認識されると、主要な連合国はロケットの技術開発に取り組みました。戦後、米国とソビエト連邦(ソ連)の関係は冷戦状態となりましたが、軍事面では米国がソ連より優位に立っており、とりわけ空軍の偵察機や戦闘機の能力においてソ連は米国に太刀打ちすることができませんでした。
そこでソ連はスパイ衛星や弾道ミサイル攻撃に必要な技術力を高めるため宇宙開発に取り組み、地球の軌道を周回する無人人工衛星を目的としたスプートニクス計画を立ち上げました。その根幹をなすのがロケット技術であったことは言うまでもありません。ソ連は1953年からロケットの開発を進め、1957年にR-7ロケットを完成させていました。R-7を使った弾道ミサイルは同年5月15日にバイコヌール宇宙基地(カザフスタン共和国)から初めて打ち上げられ3度の失敗を経て8月21日に6,000kmに及ぶ長距離飛行に成功しました。
1957年10月4日、R-7に搭載された人工衛星スプートニクス1号がバイコヌール宇宙基地から打ち上げれました。この年が選ばれた理由は液体燃料ロケットを考案したロシアのロケット研究者コンスタンチン・ツィオルコフスキーの生誕100年および国際地球観測年に合わせるためでした。衛星は高度950 kmの軌道に乗り、地球を約96分で周回する世界初の人工衛星となりました。
スプートニク1号は長さ2.4 mのアンテナが4本取り付けられた直径58 cmのアルミニウム製の球で重量は83.6kgでした。およそ3週間で電池が切れましたがその後も地球の周回を続けました。やがて高度が下がり始め1958年1月4日に大気圏に突入し焼失しました。
スプートニク1号の打ち上げ成功のニュースは世界中に伝わりました。米国があらゆる分野で科学技術の先端を走っていると認識が崩れ去り、米国や西側諸国ではスプートニク・ショック(スプートニク危機)が起きました。米国はソ連の宇宙開発を追い抜くための宇宙開発を進め、これが米国とソ連の宇宙開発競争の始まりとなりました。ソ連のユーリ・ガガーリンによる有人宇宙飛行、米国のアポロ11号の月面着陸などが実現されていきます。
冷戦下では米国とソ連はあらゆる分野で競争しましたが、とりわけ宇宙開発は人類の夢を実現させるという大義名分のもとに国の科学技術力と軍事力を誇示することができるプロパガンダとして有用だったのです。1957年10月4日は宇宙開発記念日でもあり宇宙開発競争記念日とも言えるのです。
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