« 「樽によるナイアガラの滝下り」史上初の成功(1901年10月24日) | トップページ | 映画「ターミネーター」米国公開(1984年10月26日) »

2021年10月25日 (月)

民間航空記念日(1951年10月25日)

 昭和20年(1945年)の第二次世界大戦終了後、連合軍は日本の航空産業に関する組織を解散・廃止とし、軍はもとより民間の航空機の運用ならびに一切の研究開発を禁じました。これによって日本の国旗を記した航空機が飛ぶことはなくなりました。

 昭和25年(1950年)に朝鮮戦争が起こり、アメリカ軍が日本に戦闘機の修理や部品の供給を要請するようになり、日本の航空産業が再スタートしました。日本による航空機の運用も解禁となり、昭和26年(1951年)8月1日に日本航空株式会社が設立され、同年10月25日から民間旅客機の定期路線が復活しました。

 この定期路線は日本航空による運行は認められず、実際にはノースウエスト航空が担当しました。機体にはマーチン2-0-2型機が使われ、操縦士も日本人ではありませんでした。日本航空株式会社が担当したのは営業と各室乗務員でした。

 5機のマーチン2-0-2型が就航し、各機体には「きん星」「もく星」「すい星」「ど星」「か星」と太陽系の惑星の名前が付けられました。定期路線の就航に伴う点検飛行や試乗は「もく星」が担いました。そして、昭和26年(1951年)10月25日、日本の国旗を記した航空機が再び日本の空に戻ってきたのです。

「もく星」と客室乗務員
「もく星」と客室乗務員

 昭和27年(1952年)4月9日に「もく星」が大阪から福岡へ向かう途中で墜落事故を起こしました。昭和28年(1953年)に日本航空株式会社が自主運行を始めると5機のマーチン2-0-2型機はノースウェスト航空に返却されました。

【関連記事】

二宮忠八 日本初の模型プロペラ飛行器を飛ばした男(明治24年 1891年4月29日)

日本における動力飛行機の初飛行(1910年12月19日)

国産動力飛行機が初飛行に成功(1911年10月13日)

日本の空にキャビンアテンダント登場(1931年3月5日)

羽田空港が開港(1931年8月25日)

純国産飛行機「神風号」がロンドンに到着(1937年4月9日)

お婆さんの長男は一〇〇式司令部偵察機の偵察兼通信兵

YS-11初公開|YS-11記念日(昭和37年 1962年7月11日)

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

人気ブログランキングへ

| |

« 「樽によるナイアガラの滝下り」史上初の成功(1901年10月24日) | トップページ | 映画「ターミネーター」米国公開(1984年10月26日) »

今日は何の日」カテゴリの記事

飛行機」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「樽によるナイアガラの滝下り」史上初の成功(1901年10月24日) | トップページ | 映画「ターミネーター」米国公開(1984年10月26日) »