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2021年9月 6日 (月)

ソ連戦闘機が函館空港に強行着陸(1976年9月6日)

 1976年9月6日午後1時11分、航空自衛隊奥尻レーダーサイトが高度6,000 mを速度800 km/hで西方から北海道に近づく識別不明機を捉えました。午後1時20分、航空自衛隊千歳基地からF-4EJファントム2機がスクランブル発進しました。

 識別不明機は高度を下げながらさらに北海道に近づいて来たため奥尻レーダーサイトが無線で警告しましたが、午後1時22分に北海道茂津田岬沖合いで領空に侵入しました。同期は進路を南方に向け、さらに高度を下げたためレーダーから機影が消えました。F-4EJファントムは午後1時25分に同機をレーダーで捉えたものの30秒ほどで見失いました。奥尻レーダーサイトはロシア語と英語で警告を続け、午後1時35分に再び機影を捕らえたもののすぐに見失いました。その後、奥尻レーダーサイトもF-4EJファントムも同機を捜索するものの発見することはできませんでした。

 その後、函館上空を旋回するジェット戦闘機が発見され、函館空港事務所が航空自衛隊に問い合わせを行いました。この連絡を受けて午後1時49分にF-4EJファントムが函館方面に向かいましたが、ジェット戦闘機が函館上空を3回旋回し午後1時57分に函館空港に強行着陸したため千歳空港へ引き返しました。ジェット戦闘機は着陸時にパラシュートを開きましたが、滑走路の中央あたりに着地したためオーバーランしました。空港で工事をしていた民間人が同機に近づくと、パイロットが銃を空に向けて威嚇発砲しました。

 午後2時過ぎに航空管制官の通報を受けた北海道警察が到着し、函館空港を完全封鎖しました。当初、警察と自衛隊のどちらが対応するか混乱があったようですが、領空侵犯は自衛隊の管轄だが国内の空港への着陸は警察が管轄する事件であるとして、自衛隊は警察に締め出され空港に入ることができなくなりました。

 北海道の西方からやって来た識別不明機はソビエト連邦(ソ連)のジェット戦闘機ミグ25で、パイロットはヴィクトル・イヴァーノヴィチ・ベレンコ中尉で米国への亡命を要望していることがわかりました。ソ連はベレンコ中尉の身柄とミグ25の引き渡しを要求しましたが、ベレンコ中尉は米国への亡命が認められ、ミグ25は自衛隊の百里基地に移送され日米共同の機体調査が行われることになりました。

函館空港に緊急着陸したMiG-25Pの同型機
函館空港に緊急着陸したMiG-25Pの同型機

 自衛隊はソ連が最高機密のミグ25を取り返しに来たり、破壊しに来きたりした場合に備えました。陸上自衛隊は函館駐屯地に戦車、歩兵部隊、高射砲を配置し、函館の防衛戦闘の準備をしていました。会場自衛隊も日本海側と太平洋側、そして函館付近に艦船を配備し警戒に当たりました。航空自衛隊はF-4EJによる哨戒飛行を24時間体制で行いました。実際にソ連軍が函館にやって来ることはありませんでした。

 ミグ25は1967年7月にモスクワで行われた航空ショーで初めてその姿を現しました。ミグ25の詳細は秘密のベールに包まれていましたが、最高速度はマッハ3を超え、航続距離の長い高性能な戦闘機と考えられました。当時、米国の主力戦闘機はF-4ファントムでミグ25に対抗できる戦闘機ではありませんでした。このため米国はF-15の開発に着手することになります。F-15が実戦配備されたのは1976年1月で、この事件のわずか8ヶ月前のことでした。

 日米の調査の結果、ミグ25は予想されていたほど高性能ではないことが判明しました。たとえば主翼や胴体には耐熱性の高いチタンが使われておらず、マッハ3を超える速度には耐えらず最高速度はマッハ2.83であることがわかりました。またエンジンには旧型のターボジェットエンジンが採用されており、機体が重たいため燃費が悪く、後続距離もF-15に劣ることがわかりました。電子機器には真空管が多用されており、従来の技術の信頼性を重視したもので先進的なものではありませんでした。高速で運動性が優れた戦闘機と考えられていたミグ25は領空の防衛を目的とした迎撃撃機であり、制空戦闘機ではないことがわかりました。つまりソ連や東側勢力が高性能戦闘機ミグ25で攻撃を仕掛けてくるという西側諸国の懸念が払拭されたのです。

 調査後、ミグ25はソ連に返還されましたが、ソ連は防空システムの情報が漏洩したと考えミグ25の搭載機材をすべて変更しました。同年米国が実戦配備したF-15は速度性能を抑えて運動性を重視した戦闘機でした。その後、戦闘機の基本性能は超音速より亜音速での戦闘能力が重視されるようになり、最高速度の向上は求められなくなりました。そのためミグ25は現在においても世界トップクラスの超高速戦闘機です。

 さて、ミグ25によってあっさりと領空侵犯され、函館空港に強制着陸を許してしまった日本は防空の脆弱性が露呈する形になりました。もし、ベレンコ中尉の目的が亡命ではなく攻撃だったとしたら、たいへんな被害が出ていたことは間違いありません。日本はレーダー網を見直し、また、これをきっかけに早期警戒機E-2Cを導入しました。

 自分は当時中学生で北海道の小樽市に住んでいましたが函館市に引っ越すことが決まっていました。とんでもない事件が起きたということはわかりましたが、プラモデルが趣味の友人とミグ25の話で盛り上がったように記憶しています。飛行機のプラモデルといえばハセガワが有名ですが、この事件の前にミグ25のプラモデルが販売されていました。このプラモデルはずいぶん売れ、ハセガワが飛行機のプラモデルの老舗となりました。

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