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2021年8月 6日 (金)

原爆と戦艦インディアポリスと潜水艦伊58の関係

 8月6日は「広島原爆忌」「広島平和記念日」(昭和20年 1945年8月6日)です。

 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、原子爆弾リトルボーイを搭載したB-29型爆撃機エノラ・ゲイが広島に原爆を投下しました。エノラ・ゲイはマリアナ諸島テニアン島ハゴイ飛行場を8月6日午前1時45分に離陸しました。同日午前7時、気象観測のために先行していたB-29ストレートフラッシュ号が広島上空に到達し、広島の気象情報をテニアン島の米軍基地に報告しました。これによってエノラ・ゲイの攻撃目標が広島に決定されたのです。人類史上初の核攻撃によって同年末までに14万人の人々が尊い命が失われました。

 テニアン島に広島と長崎の原子爆弾を運んだのは米国海軍ポートランド級重巡洋艦「インディアナポリス(USS Indianapolis, CA-35)」(艦長チャールズ・B・マクベイ3世大佐)でした。インディアナポリスは7月19日にサンフランシスコを出港し、ハワイのオアフ島の真珠湾を経て26日にテニアン島に到着しました。原子爆弾を目的地に運んだインディアナポリスはその後グアム島に派遣され、7月28日に単独でレイテ島に向かいました。

 7月29日23時5分、回天特別攻撃隊多聞隊の日本海軍潜水艦「伊58」(艦長橋本以行中佐)は北緯12度02分東経134度48分においてインディアナポリスを発見しました。伊58は人間魚雷「回天」を搭載していましたが、橋本艦長は通常の魚雷攻撃を指示しました。30日午前0時15分、伊58はインディアナポリスに向けて魚雷6本を全門発射、うち3本が命中、インディアナポリスは爆発炎上しました。

インディアナポリス(マクベイ艦長)と伊58(橋本艦長)
インディアナポリス(マクベイ艦長)と伊58(橋本艦長)

 インディアナポリスを撃沈させるため人間魚雷の搭乗兵は自らの攻撃を何度も志願しましたが、橋本艦長は「通常魚雷で沈められる場合は通常魚雷で攻撃する」と回天の出撃を受け入れませんでした。橋本艦長の言う通りインディアナポリスは通常魚雷の攻撃で午前0時27分に沈没しました。橋本艦長がインディアナポリスが原子爆弾をレイテ島に運んだ艦船だったことを知ったのは戦後のことでした。

 インディアナポリスには1199名が乗艦していましたが、300名が死亡し、900名が救命ボートもない状態で海に投げ出されました。8月2日に発見されるまで多数の乗組員が死亡し、最終的に救助されたのは316名でした。マクベイ艦長は生還しましたが、インディアナポリスが攻撃を受けたときにジグザグ航行をせず回避行動を取らなかった罪と乗員退艦命令を出す時期を逸した罪で1945年11月に軍法会議にかけられました。

 この軍法会議に先立ち橋本艦長は米国に呼ばれ、インディアナポリスの撃沈について証言を求められました。橋本艦長は当時の2隻の位置関係ではたとえインディアナポリスがジグザグ航行をしていても撃沈できたと説明しましたが、軍法会議でこの証言をすることは許させれませんでした。

 マクベイ艦長は乗員退艦命令の時期については無罪となりましたが、回避行動を取らなかったことについては有罪となりました。第二次世界大戦で米海軍は多くの艦船を失いましたが、艦船が撃沈されたことを理由に有罪とされたのはマクベイ艦長のみでした。この軍法会議の結果に対して、米国海軍の上級幹部らが働きかけ、1946年2月にマクベイ艦長の有罪は撤回され、現役に復帰することになりました。マクベイ艦長は1949年に51歳で少将で退役しましたが、その後もインディアナポリスの撃沈についての責任を問われ続けました。軍法会議は無罪となりましたが、死亡した元乗員の遺族の怒りは収まることはなかったのです。1968年11月6日、マクベイ艦長は70歳で自らの命を絶ったのです。

 それから30年後の1998年、映画「ジョーズ」を見ていたフロリダ州の12歳の小学生ハンター・スコットがあるシーンに注目します。サメハンターのクイントが自分がインディアナポリスの生き残りで海に投げ出された同僚たちが集まってきたサメ達に襲われたと述懐するシーンです。

 スコットはインディアナポリスの沈没に興味を持ち、生存者にインタビューをしたり、膨大な資料を調べたりしました。グアム島とレイテ島の情報交換不足により沈没の確認や乗組員の救助活動の開始が遅れたことがわかり、また軍法会議で橋本艦長の証言が制限されたことが改めて問題しされました。スコットとインディアナポリスの生存者は、フロリダ州下院議員ジョー・スカボローの支援を受けて米国議会でマクベイ艦長の無罪と名誉回復を主張したのです。これによって2000年10月30日、マクベイ艦長の無罪を証明する決議が採択されました。

 橋本艦長はマクベイ艦長の無罪と名誉の回復に長らく尽力していました。1990年にはインディアナポリスの元乗員らと交流しています。スコットの活動を知ると、マクベイ艦長の名誉回復を改めて主張しました。しかし、マクベイ艦長の無罪が確定する5日前の2000年10月25日に他界し、マクベイ艦長の名誉回復の報告を受け取ることはできなかったのです。

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