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2021年8月 9日 (月)

白鳥の湖の日本初演(1946年8月9日)

 「白鳥の湖」はロシアのピョートル・チャイコフスキーが作曲したバレエ音楽です。1875年の春にボリショイ劇場から作曲を依頼され、翌年1876年の春に完成させました。初演は1877年3月4日にボリショイ劇場で行われましたが、1883年1月の41回目の上演を最後に打ち切られました。その後、しばらくの間は本格的な上演が行われることはありませんでした(ココログ 夜明け前「バレエ組曲「白鳥の湖」の初演(1877年3月4日 )」)。

 「白鳥の湖」が再び脚光を浴びるようになったのは1895年にサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で行われた蘇演でした。この「白鳥の湖」はプティパ=イワノフ版と呼ばれ、振付師のマリウス・プティパとレフ・イワノフが台本と振り付けを手がけたものです。この蘇演で台本、振付、音楽が大幅に改訂されました。その後も改訂版が創作されていますが、現在上演されている「白鳥の湖」の多くはプティパ=イワノフ版が元になっています。

 「白鳥の湖」は蘇演から多くの国で上演されるようになりましたが、日本で全幕が初演されたのはチャイコフスキーが作曲を完成してから70年後の1946年のことでした。日本におけるバレエの初演は帝国劇場の完成がきっかけとなりました。1911年に帝国劇場のオープンを記念に「フラワー・バレー(フラワー・ダンス)」が公演されました。翌1912年にロンドン劇場で活躍していたイタリア人舞踏家ジョヴァンニ・ヴィットリオ・ローシーが来日し、日本でバレエの指導が行われるようになりました。

 ロシアはバレエの本場ですが日露戦争(1904年〜1905年)の影響で日本に初めてロシアのバレエダンサーがやってきたのは1916年のことでした。マリンスキー劇場のダンサー3人が帝国劇場で上演を行いました。この後、ロシアではロシア革命が起こり、ロシアのバレエにも影響が及びます。1919年7月にロシアのバレリーナ、エリアナ・パヴロワはロシアから逃れて日本にやってきました。1927年に鎌倉に日本初のバレエ学校を開校し、多くの日本人にバレエを指導しました。1922年、ロシアを亡命しロンドンで活躍していたバレリーナ、アンナ・パヴロワが来日し、各地でバレエの公演を行いました。このときアンナ・パヴロワが演じた「瀕死の白鳥」が大人気となり、芥川龍之介も「僕は兎に角美しいものをみた」と絶賛しました。こうして本場ロシアのバレエが日本で広まっていったのです。

 第二次世界大戦が始まると多くの文化・芸術活動が影響を受けましたがバレエも例外ではなく活動ができなくなりました。戦争が終わるとダンサーたちバレエ界に舞い戻り、日本のバレエの活動が再開しました。このとき、服部・島田バレイ団の島田廣が日本のバレエ団体が協力し全幕上演を行うべきと考えました。島田の相談を受けた舞踊評論家の蘆原英了が声をかけ、服部・島田バレイ団、東勇作バレエ団、貝谷八百子バレエ団が合同で全幕公演を行うことになりました。

 1946年4月、蘆原を顧問として東京バレエ団が結成され「白鳥の湖」の全幕上演することが決まりました。こととき蘆原は上海で活躍していた小牧正英を紹介します。小牧正英は少年時代にアンナ・パヴロワの公演を見てバレエダンサーになることを決意し、中国ハルビンのバレエ学校に留学し、その後実力を認められハルビンや上海で活躍していたバレエダンサーでした。経験豊富な小牧が「白鳥の湖」の演出と振付を担当することになりました。

 戦後の混乱の中で「白鳥の湖」の全幕上演を行うことはたいへんだったようです。東宝がバレエ団のスポンサーとなりましたが、男性のダンサーが島田、東、小牧を加えて6人しか集まりませんでした。そのような状況ですから女性ダンサーが男性のパートも踊りました。また、男性エキストラには大学の演劇部の学生たちを出演させました。この中にはフランキー堺もいたようです。また、タイツやバレエシューズも不足し、男性は水泳パンツ、女性もタイツの代わりに男性用ももひきを使うこともあったようです。トウシューズも練習用のズック製バレエ靴を利用するダンサーもいたそうです。

 そして1946年8月9日、帝国劇場で東京バレエ団第1回公演「白鳥の湖」の初演が実現したのです。当初、この公演は8月25日までの予定でしたが、大好評となり8月30日まで延長となり21日間に渡って行われました。

東京バレエ団の白鳥の湖(1946年)
東京バレエ団の白鳥の湖(1946年)
ジークフリート役の東勇作とオデット役の松尾暁子

 東京バレエ団の「白鳥の湖」は大成功しましたが、元になったそれぞれのバレエ団体の関係が悪化しました。やがて東京バレエ団の「白鳥の湖」は実態的には小牧正英が1947年に結成した小牧バレエ団の公演となり、東京バレエ団は1950年に解散しました。

 ところで1967年に放映された円谷プロダクション「ウルトラセブン」でウルトラ警備隊のキリヤマ隊長を演じた中山昭二さんが元々ダンサーであったことはファンの間では有名な話ですが、小牧バレエ団のメンバーだったそうです。東京バレエ団としての「白鳥の湖」の舞台にも立っていたのかもしれません。

  

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