プロ野球ナイター記念日(1948年8月17日)
1948年8月17日、横浜ゲーリック球場においてプロ野球公式戦の日本で初めてのナイターが開催されました。これを記念し、8月17日はプロ野球ナイター記念日とされています。
1876年、横浜の外国人居留地の彼我公園内にクリケット場が開かれ、多くの米国人により野球やサッカーなどが行われました。1896年には初の野球の国際試合が開催されました。1899年に横浜居留地が返還されると、彼我公園の名称は横浜公園に変更となり、ここに横浜公園球場が建設されました。この球場は関東大震災で崩壊しますが、その後再建されました。
1934年にルー・ゲーリッグやベーブ・ルースなどを含むアメリカ大リーグ選抜軍が来日し、沢村栄治と久慈次郎、苅田久徳などを含む日本代表チームとの間で日米親善試合も開かれました(ココログ夜明け前「函館の野球の球聖 久慈次郎」)。
横浜公園球場は第二次世界大戦中は使用停止となり1944年まで東京捕虜収容所第3分所として利用され、戦後の1945年9月に連合軍に接収されました。横浜公園球場は接収後も球場として利用され、名称は日米親善試合に来日した故ルー・ゲーリックにちなみ横浜ゲーリック球場(ルー・ゲーリック・メモリアルスタジアム)に変更されました。1946年には照明灯が設置され、ナイターが行えるようになり、大学野球や社会人野球のナイターが行われました。現在においてはプロ野球と言えばナイターが主流ですが、当時は大学野球や社会人野球の方が先んじてナイターを行なっていたのです。
戦後のプロ野球は1945年に日本野球連盟が復活し、1946年にペナントレースが再開されました。そして、プロ野球でもナイターを行うことになり、横浜ゲーリック球場で初の試合が行われました。この試合は東京巨人軍と中日ドラゴンズで行われ、当日は観客があふれるほどの超満員だったそうです。
試合は午後8時過ぎに始まり午後10時過ぎに終了、中日が巨人を3対2で下しました。開始時間を遅くしたのは日没前のナイターはボールが見えにくくなるという理由からです。当時の照明設備は現在のナイター照明に比べると十分ではなく、観客にとっては明るく見えても選手にとっては十分な明るさではなかったようです。巨人軍の青田昇選手がデッドボールを避けられず負傷したり、川上哲治選手が打ったホームランが二塁打に見間違えられたりするなどのハプニングもあったようです。
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