モナ・リザの盗難が発覚(1911年8月22日)
1911年8月22日、フランス人画家のルイ・ベローはルーブル美術館のサロン・カレを訪れました。そこに展示されているレオナルド・ダ・ヴィンチ作「モナ・リザ」をスケッチするためでした。ところが、そこにあるはずのモナ・リザは額ごとなくなっており展示されていせんでした。ベローが美術館に報告すると、最初はモナ・リザは写真撮影のために移動しているという話でしたが数時間後には盗難されたことが発覚しました。
ルーブル美術館から連絡を受けた警察はすぐに捜査を開始し、フランスの詩人ギヨーム・アポリネールが犯人として逮捕されサンテ刑務所に収監されました。アポリネールは前衛的な詩人でモナ・リザを「燃やしてしまえ」と挑発していましたが、実際に逮捕された理由はアポリネールの家に住み込みで雇われていた秘書ジェリ・ピエレがルーブル美術館から彫像を盗難していたからです。ピエレはモナ・リザが盗難される3ヶ月前の1911年5月に彫像を盗み、部屋に隠していました。アポリネールはこれに気がついて彫像を返すようにピエレを説得しました。ところがピエレは彫像の売却先を探す話ばかりをして応じませんでした。
困り果てたアポリネールは友人だったフランスの画家パブロ・ピカソに相談しました。ピエレはアポリネールに雇われる前にもルーブルから美術品を盗難しており、そのときピカソに売却していたという経緯がありました。2人は盗品をセーヌ川に投げ入れようと考えますが、芸術家としてそのようなことをするのをためらい、アポリネールが懇意にしていたパリ・ジュルナル紙を通じて匿名で返却することにしました。このことがきっかけで警察に目をつけられたアポリネールは逮捕され、ピカソも疑われて尋問されました。2人はモナ・リザの窃盗について疑われましたが、証拠不十分で釈放されました。
モナ・リザは行末はわからずじまいでしたが、2年後の1913年に真犯人が見つかりルーブル美術館に戻ってきました。真犯人はルーブル美術館で働いて経験のあるイタリアのビンセンツォ・ペルージャでした。ルージャは1911年8月21日が美術館の休館日になることから、前日20日に美術館内に隠れて一夜を過ごしました。翌20日の朝に職員の作業衣を着て誰もいないサロン・カレからモナ・リザを持ち出し、モナ・リザを作業服で隠して警備室前を通ってルーブル美術館をあとにしました。まんまとモナ・リザを盗み出すことに成功したのです。ペルージャはしばらくフランスに滞在していましたが、イタリアのフィレンツェにモナ・リザを持って戻りました。
ペルージャはダ・ヴィンチのモナ・リザはイタリアのもので、イタリアの美術館に展示すべきと考えていたようです。やがてモナ・リザを所有していることを誰かに伝えたくなり、ギャラリーオーナーのアルフレード・ジェリを通じてウフィツィ美術館館長ジョヴァンニ・ポッジに売却しようとしました。ジェリとボッジはモナ・リザを入手し、すぐに警察に連絡しました。まもなくペルージャは逮捕され、発見が絶望視されていたモナ・リザが見つかったのです。発見されたモナ・リザはイタリアのさまざまな都市で展示された後にルーブル美術館へ返却されました。
逮捕されたペルージャはイタリアの裁判で有罪となり懲役刑となりましたが、レオナルド・ダ・ヴィンチ作「モナ・リザ」をイタリアに持ち帰った愛国者とされ6ヶ月の刑期となりました。
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