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2021年8月12日 (木)

日本航空123便墜落事故(昭和60年 1985年8月12日)

 8月12日は日本航空123便(ボーイング747SR-100型機、JA8119)が墜落した日です。

 今から36年前の昭和60年(1985年)のこの日、自分は実家に帰省していて旧友と高校の恩師の家に遊びに行っていました。ビールなどを飲みながら歓談していたところ、テレビにこの事故のニュースが流れました。たいへんな航空事故が発生したことがすぐにわかり、墜落現場は山岳地帯、時間も19:00を過ぎていたので救助活動が難航するであろうことは容易に想像がつきました。乗員乗客524名のうち520名が亡くなるという予想した通りの大事故になってしまいました。

 航空機の墜落事故ほど悲惨なものはありませんが、航空機は最も安全な乗り物と言われています。たくさんの飛行機が世界中を飛んでいてますから事故が起きる確率を考えれば確かに安全な乗り物だと言えるでしょう。自動車事故による死亡者数と比較しても、そのことがわかります。その安全な飛行機が落ちたのはなぜか。

 JA8119は昭和53年(1978年)6月2日、大阪伊丹空港着陸の際に機体尾部を滑走路に接触させた、いわゆるしりもち事故を起こしています。123便墜落事故の調査の結果から、このときの機体の修理が不十分で圧力隔壁が破壊し墜落の原因になったことがわかっています。

 運輸省航空事故調査委員会はこの事故の原因を次のように結論づけています

https://www.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/download/62-2-JA8119-04.pdf

 『本事故は、事故機の後部圧力隔壁が損壊し、引き続いて尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の破壊が生じ、飛行性の低下と主操縦機能の喪失をきたしたために生じたものと推定される。

 飛行中に後部圧力隔壁が損壊したのは、同隔壁ウエブ接続部で進展していた疲労亀裂によって同隔壁の強度が低下し、飛行中の客室与圧に耐えられなくなったことによるものと推定される。

 疲労亀裂の発生、進展は、昭和53年に行われた同隔壁の不適切な修理に起因しており、それが同隔壁の損壊に至るまでに進展したことは同亀裂が点検整備で発見されなかったことも関与しているものと推定される。』

奥多摩町上空を飛行中のJA8119
奥多摩町上空を飛行中のJA8119
垂直尾翼がほとんど失われている

 JA8119はしりもち事故から123便墜落事故までの間に飛行回数12,319回、飛行時間16,195時間59分のフライトをこなしていました。8月12日は羽田ー千歳往復(503便、504便)、羽田-福岡往復(363便、366便)を運行していますが、いつ事故が起きてもおかしくない状態にあったと考えられます。

 123便の乗員たちは最後まで飛行機を飛ばし続けることに全力をそそいでいました。乗客もパニック状態にはなっていなかったようです。123便の乗員がいかに最後まで飛行機を飛ばし続けたのかは飛行記録や地上とのやり取りを聞くとわかります。どんな状況でも最後まで諦めてはいけないということを教えてくれます。

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