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2021年7月30日 (金)

大正時代始まる(1912年7月30日)

 1912年(明治45年)7月30日、 明治天皇が崩御し皇太子嘉仁親王が即位したことによって改元され元号が大正となり、ここに大正時代が始まりました。大正は中国儒教『易経』彖伝・臨卦の「大亨以正、天之道也」(大いに亨(とほ)りて以て正しきは、天の道なり)に由来します。これは「すべて滞りなく順調に運び正しさを得る」という意味です。

 大正はわずか1926年12月25日まで15年間で日本史上で最も短い時代でしたが、「大正デモクラシー」や「大正ロマン」など時代の移り変わりを象徴する出来事がありました。

 大正デモクラシーは政治や社会や文化における民主主義化や自由主義化への動きを表す言葉です。日本の議会で初めて選挙が行われたのは明治23年(1890年)の衆議院選挙でした。以来、選挙権を有するのは年齢満25歳以上の男子で1年以上15円以上の直接国税を納めている者に限られていました。また被選挙権を有するのは年齢満30歳以上の男子で1年以上15円以上の直接国税を納めている者に限られていました。

 大正7年(1918年)に米騒動と大正18年(1919年)のパリ平和会議をきっかけとして普通選挙制度の導入の機運が高まり、デモクラシーという言葉が流行しました。大正末期の大正14年(1925年)に普通選挙法が成立し、納税要件が撤廃され満25歳以上の男子に選挙権、満30歳以上の男子に被選挙権が与えられました。しかし、このときは女性参政権は認められず、女性の参政権が認められたのは第二次世界大戦後の1945年でした。

 大正ロマンには大正時代に始まり発展した思想や大衆文化の出来事を表す言葉です。19世紀にヨーロッパで進んだロマン主義の影響を受けて、大正時代の民主主義化や自由主義化による新しい時代の流れの中で大正ロマンと呼ばれるようになりました。

 大正時代には都市化が進み交通網が整備され、蓄音や活動写真の登場、電話や電報の発達、新聞や雑誌の普及によって、人々の交流や情報の伝達が飛躍的に進みました。民衆ならびに女性の地位向上への取り組み、西洋文化の影響を受けた芸術の発展し、それに自由主義的思想が相まって大衆文化が花開きました。この頃から職業婦人が登場し、洋服に断髪で働く女性たちはモダンガールと呼ばれました。

東京駅前丸の内側から皇居をのぞむ(大正9年 1920年)
東京駅前丸の内側から皇居をのぞむ(大正9年 1920年)

 大正時代の経済の発展の背景には1914年(大正3年)7月から1918年(大正7年)11月にかけて起こった第一次世界大戦があります。当時、東洋の大国となっていた日本に同盟国イギリスから誘いがあり、日本は大正3年(1914年)8月に参戦しました。日本は世界的な品不足を解消する生産拠点となり、工業が発展し近代化が進みました。これによって日本経済は好景気となりました。

 しかし、戦後は需要に対して供給が過剰となり、不況に陥りました。また大正7年(1918年)から1920年にかけてスペイン風邪が大流行し、大正12年(1925年)には関東大震災によって首都東京が大打撃を受けました。関東大震災によって東京のインフラは最整備され、近代都市へと発展する機会となりました。

 大正時代、わずか15年の間に日本の政治や文化は大きく変革し、近代化が進んで人々の生活が様変わりした時代となったのです。

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