パリのエトワール凱旋門が完成(1836年7月29日)
フランス、パリのエトワール凱旋門はシャンゼリゼ通りの西端、シャルル・ド・ゴール広場の中心にあります。この広場はセーヌ川の右岸にあり、12本の放射状の大通りからなる12角形の中心にあります。この形が輝く星(エトワール、フランス語)に見えることから、この広場はエトワール広場(星の広場)と呼ばれていました。現在は広場の名称はシャルル・ド・ゴール広場に変更となっていますが、凱旋門は今もなお「エトワール凱旋門(Arc de triomphe de l'Etoile)」と呼ばれています。
エトワール凱旋門はナポレオン・ボナパルトがアウステルリッツの勝利を称えるため1806年に建設を始めました。フランスの建築家ジャン・フランソワ=テレーズ・シャルグランがイタリア、ローマの「ティトゥスの凱旋門」を模範とし設計しました。基礎工事に2年を要し、1810年にナポレオンが皇后マリア・ルイーザを伴ってパリに入ったときには凱旋門はできておらず木製のモックアップのアーチを作らせました。 ジャン・シャルグランが1811年に死去したため、ジャン・ニコラ・ユイットが建設を引き継ぎました。
ナポレオンが退位した後、工事は順調に進まず、ブルボン朝(ルイ王朝)の時代には工事が中断されました。エトワール凱旋門が落成したのは、オルレアン朝のルイ・フィリップ王の時代の1836年7月29日のことでした。
1840年12月15日、ナポレオンが埋葬されていたサン・ヘレナからパリに改葬されるときにエトワール凱旋門をくぐりました。ナポレオンが建設を開始してから34年後のことでした。
エトワール凱旋門はフランス革命戦争とナポレオン戦争でフランスのために戦いによって命を落とした人々を称えています。その内部と外部にはフランスの戦勝と将軍の名前が刻まれています。またアーチの元には第一次世界大戦で亡くなった戦士の墓があります。
エトワール凱旋門の全体の大きさは高さ50 m、幅45 m、奥行き 22mで、丸天井は高さ29.19 m、幅14.62 mあります。大きなアーチは高さ29.19 m、幅14.62 m、小さなアーチは高さ18.68m、幅8.44mです。1938年にメキシコシティに完成した高さ67メートルの「革命記念塔」が完成するまで世界で最も高い凱旋門でした。
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