1964年東京オリンピックの聖火の点火
1964年東京オリンピックの聖火は同年8月21日にギリシアのオリンピアのヘラ神殿の遺跡で採火され、翌22日に聖火空輸特別機「シティ・オブ・トウキョウ号(日本航空)」でアテネから日本に向けて運ばれました。聖火は11カ国を経由し、9月7日に沖縄に到着しました。
当時の沖縄は米国の占領下でしたが、国内の聖火リレーは沖縄がスタート地点に選ばれました。9月9日に「聖火号(全日空)」によって、鹿児島空港、宮崎空港を経て千歳空港に向かいました。この3箇所が国内リレーの4つコース起点となりました。
4つのコースは鹿児島から本州の日本海側を通って東京へ向かう第一コース(9/9〜10/9)、宮崎から四国を経て本州の太平洋側を通って東京へ向かう第二コース(9/9〜10/8)、千歳から本州の日本海側を通って東京へ向かう第三コース(9/9〜10/7)、千歳から本州の太平洋側を通って東京へ向かう第四コース(9/9〜10/7)が選ばれました。地上リレーの走破距離は6,755 kmにもなりました。
各コースの聖火は東京都庁に集められ、9日に皇居前の聖火台で集火式が行なわれました。そして1964年10日10日午後2時35分、国立競技場に向けた最終聖火リレーが行なわれた。聖火は国立霞ヶ丘競技場の千駄ヶ谷門で10万713人目の最終聖火ランナーの坂井義則選手(当時、早稲田大学1年生)の手渡されました。そして、国立競技場のトラックに入ってきました。
大勢の観客が見守る中、坂井義則選手はトラックを半周します。
そして、聖火台までの階段を駆け上り、1964年東京オリンピックの聖火を点火しました。
坂井選手は1964年東京オリンピックの400 mおよび1,600 mリレーの強化選手でしたが、代表選考会で敗退したため出場を逃していました。もともと聖火の最終ランナーは別の選手が走る予定でしたが、オリンピック組織委員会が1945年8月6日「広島原爆投下の日」が誕生日だった坂井選手に最終ランラーを託したのです。
戦後の日本が劇的に変化した東京オリンピックから50年。高度成長の真っ只中の1964年当時の東京を、200点以上の写真と古い地図で振り返る。
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