日本プロ野球史上初の完全試合(1950年6月28日)
日本のプロ野球で完全試合を達成した投手は16人います。現時点で最後に完全試合を記録した投手は千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希選手で、2022年4月10日のロッテxオリックス戦(ZOZOマリンスタジアム)で成し遂げました。
日本のプロ野球で初めて完全試合を達成した投手は読売ジャイアンツの藤本英雄選手です。藤本選手は1935年と1937年に春の甲子園に出場し、その後は明治大学に進学しました。藤本投手は普段の投球練習でもキャッチャーがプロテクターをつけるほど剛腕で、1940年秋季リーグ、1942年春季リーグの明治大学の優勝に多大な貢献をしました。大学での通算成績は34勝を記録しています。
大学を卒業した藤本選手は1942年に東京巨人軍に入団しました。プロ野球選手になって初の試合は巨人x大洋戦でした。試合前から高い前評判で多くの観客を集めましたが、本塁打を打たれるなどして7回で3失点となり降板しました。しかし、8回から登板したスタルヒンのリリーフによって初勝利を収めることができました。実は藤本選手は初戦に向けて練習不足で調子が悪かったそうです。当時の藤本定義監督は藤本選手を高く評価しており、藤本選手にプロ野球の厳しさを経験させるため、あえて調子が上がらないうちに登板させたようです。藤本投手はその後10連勝を果たしています。
デビュー2年目の1943年には34勝、防御率0.73、奪三振253、勝率.756、完封19と投手五冠を達成しました。戦時中の人材不足から1944年から1946年の途中まで日本プロ野球史上最年少記録となる25歳で監督と主将を兼任しました。
藤本選手は1947年に中部日本ドラゴンズに移籍しますが、シーズン後半に肩を故障してしまいます。1948年、読売ジャイアンツに復帰し、外野手として活躍しましたが、足を痛めて走ることができなくなりました。幸い肩の故障も回復し、再び投手として活躍するため投球練習を始めました。このとき藤本選手の投じたボールが右へ大きく曲がり、これをきっかけに投球方法を学んでスライダーを投げられるようになりました。藤本投手のスライダーは打者の手前で直角に曲がるような高速スライダーでした。ヤクルト・スワローズの伊藤智仁選手の高速スライダーのようだったそうですから魔球だったに違いありません。
そして1950年6月28日に青森で行われた巨人x西日本パイレーツ戦。この試合は藤本選手は登板する予定はありませんでしたが、先発を予定していた投手が急病で登板できなくなり、藤本選手が先発することになりました。実は藤本選手は青森での登板はないと考え、函館から青森への青函連絡船での移動中に徹夜マージャンをしていてほとんど寝ていなかったようです。寝不足でマウンドに上がった藤本選手は打者を次々と打ち取り、あっと言う間に完全試合を達成しました。これが日本プロ野球史上初の完全試合の記録となりました。
1955年、37歳となった藤本投手は戦列を離れていましたが、同年10月11日に和歌山で行われた巨人x広島戦で200勝を達成し、現役を引退しました。
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