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2021年6月12日 (土)

川端康成「雪国」刊行(1937年6月12日)

 小説「雪国」は昭和43年(1968年)にノーベル文学賞を受賞した川端康成の長編小説です。川端康成は昭和10年(1935年)1月からいくつかの雑誌で雪国の物語を書き始め、昭和12年(1937年)6月12日に「雪国」として刊行しました。川端康成はその後も執筆に取り組み、「雪国」の完結本が刊行されたのは昭和23年(1948年)12月25日です。「雪国」の完成に13年もかけたのです。

川端康成
川端康成

 湯沢温泉を舞台とした「雪国」の冒頭は有目な「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」で始まります。国境は「くにざかい」と読むか「こっきょう」と読むのか意見が分かれていますが、国境の長いトンネルとは群馬県と新潟県の境い目にある清水トンネルのことです。清水トンネルが開通したのは昭和6年(1931年)で、川端康成は1934年から1937年まで湯沢温泉に滞在しています。

 小説では汽車に乗って長いトンネルを抜けたことになっていますが、清水トンネルを挟む水上駅と石打駅の路線は最初から直流電化されており、ここを汽車が通ることはありませんでした。長いトンネルに蒸気機関車を通すと煤煙による人的被害が生じるため、この区間は電気機関車が客車を牽引していたのです。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」と蒸気機関車が走る映像がありますが、蒸気機関車が長いトンネルを抜けることはなかったのです。

 さて、清水トンネルの路線を複線化する際に、新清水トンネルが作られました。昭和42年(1967年)に清水トンネルは上り専用となり、新清水トンネルが下専用となりました。川端康成がノーベル文学賞を受賞したときには「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」を体験しようと上越線に乗っても、当時の国境の長いトンネル(清水トンネル)を通り抜けた主人公の島村の体験は再現できなくなっていたのです。

 

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