函館と赤とんぼの関係
夕焼け小焼けの赤とんぼ、負われて見たのは、いつの日か
有名な童謡「赤とんぼ」の歌詞です。子どもの頃、「負われて見たのは」を「こわれて見たのは」と思っていた頃があります。何が壊れたのかさっぱりわかりませんが、そう思っていたのです。
しばらくして、「負われて見たのは」が正しいということを知りました。そして次に出てきた疑問。「負われて見たのは」って、負われたってどういうことなの?ということでした。これも、そのうち「背負われて見たのは」ということがわかりました。なるほどねぇ。
さて、この童謡の歌詞の解釈には論争があったそうです。主人公は、赤とんぼを背負われて見たわけですが、その主人公を背負っていたのは誰か?ということです。
「赤とんぼ」の三番目の歌詞はこうです。
十五で姐(ねえ)やは、嫁に行き、お里のたよりも、絶えはてた
この歌詞から想像すると、主人公はこの姐やに背負われていたのではないかと考えるのが自然です。
この「赤とんぼ」は1921年大正10年に発表された歌です。この時代を考えると、少女が幼児を背負って子守をしているのはよくある光景だったでしょう。
これに対して、いや主人公を背負っていたのは母親だという考えもあります。歌詞には母親と思えるような人物は出てきませんが、子どもを背負っているのは母親というイメージが強かったのでしょう。
さて、「赤とんぼ」の歌詞は三木露風(みき ろふう 1989-1964)という兵庫県出身の詩人によるものです。露風は1920(大正9年)に、函館のトラピスト修道院の講師に就任します。トラピスト修道院の初代院長であるジェラール・プーリエ院長(のちに、帰化が認められ、岡田晋理衛と名乗る)が、三木露風に講師を依頼したからです。同年、三木露風は婦人とともに函館にやってきて、函館トラピスト修道院講師に着任しました。翌1921年(大正10年)に2人は洗礼を受け、この年に三木露風は「赤とんぼ」の詞を書いています。
この頃の三木露風の自筆のメモが見つかっています。「赤とんぼ」は函館トラピスト修道院でアカトンボを見て、幼い頃を思い出して書いた詩であることが記載されています。「赤とんぼ」の主人公は三木露風自身であり、幼い彼を背負ったのは子守役の娘だそうです。ということですから、詞に出てくる「姐さん」は母親ではなかったということになります。
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コメント
コメントありがとうございます。
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アカトンボを見るたびに、この曲が頭に流れますね。時代が流れても、綺麗な夕焼けは変わりませんし。
投稿: toshizo | 2008年5月 7日 (水) 03時23分
こんにちは。
「赤とんぼ」は、歌詞もメロディもよく名曲ですね。
投稿: kemukemu | 2008年5月 6日 (火) 19時32分