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2021年5月12日 (水)

豪華客船オリンピック号がUボートを撃沈(1918年5月12)

 客船オリンピック号は1900年代にヨーロッパ各地と米国ニューヨークを結ぶ大西洋航路を就航していたイギリスのホワイト・スター・ライン社の豪華客船です。同社は競合会社のキュナード社が保有する2隻の豪華客船に対抗して3隻の姉妹船を造船しました。

 その3隻の豪華客船の中で最初に造船されたのがオリンピック号でした(1908年12月16日起工、1910年10月20日進水、1911年6月14日就航)。次に造船されたのは1912年4月15日に沈没したタイタニック号です(1909年3月31日起工、 1911年5月31日進水、1912年4月10日処女航海)。そして最後に造船されたのが1916年11月21日に沈没したブリタニック号(1911年11月30日起工、 1914年2月26日進水、1915年12月23日就航)です。つまり、オリンピック号は有名なタイタニック号の姉妹船でした。

 これら3隻の船はオリンピッククラスと呼ばれていました。現在では悲劇的な沈没事故やその映画などの影響でタイタニック号が有名ですが、当時は最初に造船されたオリンピック号の方が名が通っていました。

 タイタニック号が沈没したとき、ブリタニック号は建造中であったためオリンピック号は一隻で大西洋航路を就航せざるを得なくなりました。タイタニック号の事故の信頼を回復するため船体側面を強化するなど安全面の改良が施されました。

 1914に第一次世界大戦が勃発すると、オリンピック号は1915年9月にイギリス海軍の輸送船として徴用されました。豪華客船に大砲が取り付けられ、部隊の輸送を行いました。同年12月に就航したブリタニック号も徴用されました。病院船として活躍しましたが1916年11月21日にドイツ軍の機雷に触雷して沈没してしまいました。これによって2隻のオリンピッククラスが失われることになり、オリンピック号のみが残りました。

 1917年にアメリカが参戦するとオリンピック号はアメリカからイギリスに部隊輸送を行うようになりました。この頃には船体には迷彩塗装が施されていました。

迷彩塗装のオリンピック号
迷彩塗装のオリンピック号

 1918年5月12日、オリンピック号はドイツ海軍のUボート(U-103潜水艦)から魚雷攻撃を受けましたが、魚雷を避けてUボートに体当たりをしました。大きな船に体当たりされたUボートはひとたまりもありません、あっさり沈没してしまいました。商船が軍艦を沈没させたとが話題になりました。

 終戦後、オリンピック号は商用の客船に復帰しましたが、点検の際に不発の魚雷が当たった痕が見つかりました。もし魚雷が爆発していたら、すべてのオリンピッククラスが沈没していたことになります。その後、オリンピック号は500回以上大西洋横断を行い20年間豪華客船として活躍し、1935年に引退しました。

 ところでオリンピック号と沈没したタイタニック号にはすり替え説があります。これは姉妹船であるためにタイタニック号のスクリューがオリンピック号に転用されたり、オリンピック号の宣伝のためタイタニック号の写真が使われたりしたためで、すり替えの事実はなかったと考えられています。しかし、保険金詐欺を目的としてタイタニック号に偽装したオリンピック号をわざと氷山に突入させたなどの説が語り続けられいます。

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