ベートーヴェンの英雄は誰か(1805年4月7日)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」。エロイカ」と呼ばれることも多々ありますが、これは原題のイタリア語「Sinfonia eroica, composta per festeggiare il sovvenire d'un grand'uomo」に由来します。
「英雄」はベートーヴェンが1804年に完成させた交響曲で1805年4月7日にオーストリア・ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場で初演されました。
原題の日本語訳は「英雄交響曲、ある偉大なる人の思い出に捧ぐ」ですが、実は「英雄」が誰のことであるかがよくわかっていません。ベートーヴェンはナポレオン・ボナパルトを尊敬していることから、「英雄」はナポレオンのことであるとされています。
この曲の完成後にナポレオンが皇帝に即位したことからベートーヴェンがナポレオンの野心に怒り「奴もまた俗物に過ぎなかったか」と言ってナポレオンへの献辞の書かれた表紙を破り捨てたという有名な逸話があります。これはベートーヴェンの弟子によって伝えられたものですが、現存する浄書には表紙を破り捨てた形跡はなく、表紙に書かれたナポレオンへの献辞がペンで書き消されて、題名が「ボナパルト」から「シンフォニア・エロイカ」と改題され、さらに「ある英雄の思い出のために」との一文が加えられています。
「英雄」の最終的な献呈先はロブコヴィツ侯爵(フランツ・ヨーゼフ・マクシミリアン・フォン・ロプコヴィッツ)となり、ナポレオンへの献呈は取りやめになっています。
「英雄」の第2楽章Marcia funebre: Adagio assaiは英雄の死をテーマにしているため、ナポレオンを尊敬していたベートーヴェンがナポレオンに対して無礼であると考えて題名を改題して献呈は取りやめたという説もあります。
また「英雄」は1804年12月にロブコヴィツ邸で非公開で演奏されていることがわかっています。このとき、プロイセン王国のルイ・フェルディナント王子が立ち会っていました。フェルディナント王子は1806年7月9日にイエナ・アウエルシュタットの戦いで戦士しており、このルイ・フェルディナント王子が英雄であるという説もあります。
「英雄」の第4楽章 Finale: Allegro moltoはベートーヴェンのバレエ曲「プロメテウスの創造物」の終曲から転用しています。プロメテウスはギリシア神話に登場する神で天界の火を盗んで人類に与えたとされています。
はたして「英雄」の英雄は誰だったのでしょうか。
交響曲第3番《英雄》(ベートーヴェン)(カラヤン指揮)
【関連記事】
・ベートーヴェンの「運命」初演の日(1808年12月22日)
・ベートーヴェン「交響曲第9番」の初演(1824年5月7日)
・美しく青きドナウの初演日(1867年2月15日)|ドナウ川とは無関係だった
| 固定リンク | 0
「音楽」カテゴリの記事
- 【#おもしろ映像】1人でインディー・ジョーンズをアカペラで演奏する男(2026.01.29)
- 紅白歌合戦の元祖は紅白音楽試合(昭和20年 1945年12月31日)(2025.12.31)
- ジョン・レノン忌|ジョン・レノン凶弾に倒れる(1980年12月8日)(2025.12.08)
- ピーテル・ブリューゲルの「死の勝利」とブラックサバスのベストアルバム(2025.07.09)
- サザンオールスターズがメジャーデビュー(昭和53年 1978年6月25日)(2025.06.25)
「今日は何の日」カテゴリの記事
- 江戸が東京に改称される(慶応4年 1868年 7月17日)(2026.07.17)
- マツダ(東洋工業)がコスモスポーツ発表(1967年5月30日)(2026.05.30)
- 江戸幕府が修学と商業目的の海外渡航を許可(慶応2年1866年4月7日)(2026.04.07)
- 自転車青切符導入で暴走三輪車の摘発を検討|ライアー新聞(2026.04.01)
- ロシア使節ニコライ・レザノフが長崎から退去(文化2年 1805年3月19日)(2026.03.19)

コメント