タイタニック号が氷山に衝突(1912年04月14日)
タイタニック号はイギリスの豪華客船です。総重量4万6329トン、全長269メートル、幅26メートル、高さ53メートル、二重船底、水密隔壁といった構造の巨大な客船は不沈船と思えるほど立派なものでした。4万6千馬力、最大速度24ノットのタイタニック号はまるで海上を滑るように走る宮殿のようでした。
タイタニック号は1911年5月に進水式を行い、翌1912年4月に試運転を行いました。その後、処女航海の出発となるサウサンプトン港に向かい、4月10日午後12時にニューヨークをめざして出発しました。
タイタニック号は順調な航海を続けていましたが、航海開始5日目にあたる14日、付近を航行する船から氷山に関する警告が無線で何度か入ってきました。無線を受けたタイタニック号はわずかに航路をずらしましたが、航行速度は落とさずに航海を続けました。
14日の夜は月齢26で海上は真っ暗でした。さらに波もほとんどなく、あたりに氷山があっても気がつきにくい状態でした。そして、処女航海でバタバタしていたせいか見張台に望遠鏡が設置されていなかったという不幸が重なりました。
午後11時40分、北大西洋のニューファウンドランド沖で、見張台から前方450メートルに高さ約20メートルの氷山を発見したという報告が入りました。タイタニック号は直ちに氷山を回避しようと左に舵を取りました。正面衝突は免れましたが、氷山が右舷をかすめ、右舷船首に長さ数十メートルにわたる深い傷を負いました。
タイタニック号は直ちに停船しましたが、まもなく浸水が始まりました。正面衝突による衝撃は避けることができましたが、もっとも弱い脇腹の部分に傷が入りそこから破壊が始まりました。排水を試みましたが、ついに衝突から2時間40分後の15日午前2時20分に真ん中から折れるように割れて沈没してしまいました。
タイタニック号は救難信号を出したり、信号弾を発射したりしましたが、タイタニック号の危機は他の船には伝わりませんでした。唯一、90kメートル離れたところにいた客船が現場に急行しましたが、到着したのは午前4時を過ぎてのことでした。タイタニック号には乗員乗客がすべて乗り込めるだけの救難ボートが搭載されておらず、多くの人が船から脱出できませんでした。犠牲者の数は1500名を超える大惨事となりました。
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