中谷宇吉郎博士が雪の結晶の作製に成功(1936年3月12日)
中谷宇吉郎博士は1922年に東京帝国大学理学部物理学科に入学し、寺田寅彦博士のもとでに物理学を学びました。卒業後は理化学研究所研究員を兼任していた寺田博士の助手となりました。1928年にキングス・カレッジ・ロンドンに留学、1930年に北海道帝国大学理学部助教授、1931年に博士号を取得したのち1932年に同教授となりました。
雪の結晶に興味をもった中谷博士は1932年頃から雪の結晶の研究を始めました。まず自然の雪の結晶の写真を撮影し、雪の結晶の分類を行い気象条件との関係を調べました。その調査結果から中谷博士は実験室で人工的な雪を作ることが必要であると考えました。
人工雪の結晶を作ることは簡単ではありませんでした。ガラス管の中に水蒸気を発生して冷却するなどの実験を試みましたが、氷の結晶ができるだけでした。雪の結晶を作るのに重要なポイントは雪の結晶が生成するきっかけとなる核の選択でした。
中谷博士は最初は核の材料として木綿や羊毛を選びましたが、雪の結晶はうまく生成しませんでした。あるときウサギの毛皮に雪の結晶が生成していることを発見し、これを詳細に調べました。そして、1936年3月12日に低温実験室でウサギの毛の先に世界で初めて人工雪の結晶を作ることに成功しました。中谷博士は気象条件と雪の結晶の生成過程の関係を明らかにし、様々な条件での雪の結晶の生成を説明する「ナカヤダイアグラム」を発表しました。
中谷博士の研究成果によって、1943年に北大に低温科学研究所が開所しました。この研究所では軍の要請による軍事研究も行われ「航空機への着氷防除」の研究などが行われました。中谷博士は実用化を急ぐ軍に対して、一貫して基礎研究を重要視し続けましたが、終戦後に軍事研究に関わったことを批判され、また人工結晶の記録映画の撮影用に米国GE社から提供されたフィルムの予算に米国空軍が支出していたことが問題となり、低温科学研究所を退所しました。
中谷博士は寺田寅彦博士と同様に科学を一般の人々に分りやすく伝えるため執筆活動を行いました。気象条件と雪の結晶の関係について「雪は天から送られた手紙である」という言葉で表現しています。
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