日本の空にキャビンアテンダント登場(1931年3月5日)
現在においては旅客機に客室乗務員(キャビンアテンダント、CA)が乗務しているのはあたりまえのことですが、昔は機内サービスがなかったためCAという職業は存在していませんでした。機内サービスが始まったのは1919年とのことですが、最初は副操縦士が担当していました。
CAが搭乗するようになったのは1920年代になってからです。当時のCAは男性のみでスチュワードと呼ばれていました。スチュワード(男性)、スチュワーデス(女性)は船舶料理士に由来します。1929年にはパンアメリカン航空が訓練されたCAを搭乗させました。CAは機内サービスや緊急時の対応を担当しました。
1930年、米国のボーイング・エア・トランスポート社が初めて女性のCAを乗務させました。このCAは看護師の経験があり、機内サービスの他に緊急時の対応も担当しました。現代の感覚からすると不適切ですが、当時は多くの人が危険な乗り物と考えていた旅客機に初めて女性CAを乗務させることにより、航空機の安全性をPRする目的もあったそうです。
さて、日本の旅客機にCAが乗務するようになったのは翌年の1931年(昭和6年)でした。日本航空学校を運営していた相羽有(あいばたもつ)が1928年に設立した東京航空輸送がCAを募集、同年2月5日採用試験を行いました。そして、140人の応募者から3人を採用したことを3月5日に発表しました。3人の女性CAはエアガールと呼ばれ、東京―下田―清水間の定期路線に乗務しました。
東京航空輸送は1939年(昭和14年)3月27日に国策によって1938年に設立された大日本航空に吸収合併されることになりました。その大日本航空は第二次世界大戦後の1945年(昭和20年)10月に解散し、同年11月のGHQの指令「民間航空廃止ニ関スル連合軍最高司令官指令覚書」 (SCAPIN-301) によって日本人による航空に関わる活動はいっさい禁じられました。
余談ですが日本飛行学校の一期生にはウルトラマンの生みの親でもある円谷プロダクション創設者の円谷英二さんが入学しています。この話はまたの機会にと思います。
| 固定リンク | 0
「今日は何の日」カテゴリの記事
- グイード・ダレッツォとドレミの日(1024年6月24日)(2025.06.24)
- 自衛隊機乗り逃げ事件(昭和48年 1973年6月23日)|自衛隊青春日記(小栗 新之助 著)(2025.06.23)
- 米国初の女性宇宙飛行士を乗せたスペースシャトル「チャレンジャー」打上げ(1983年6月18日)(2025.06.18)
「昭和の思い出」カテゴリの記事
- 王貞治が4打席連続本塁打(昭和39年 1964年5月3日)(2025.05.03)
- 忠犬ハチ公の日(昭和9年 1934年4月8日)(2025.04.08)
- 五百円札の発行(昭和26年 1951年4月2日)(2025.04.02)
- 江戸幕府が主要な街道に一里塚を設置(慶長9年 1604年2月4日)(2025.02.04)
- 丸井今井呉服店小樽店(2025.01.26)
「飛行機」カテゴリの記事
- 一〇〇式重爆撃機「呑龍」(2025.06.14)
- 「加藤隼戦闘隊(飛行第64戦隊)」の加藤建夫隊長が戦死(昭和17年 1942年5月22日)(2025.05.22)
- 日本初の海上空港となる長崎空港が開港(昭和50年 1975年5月1日)(2025.05.01)
- 飛行船の日|飛行船「雄飛」の試験飛行(大正5年 1915年1月22日)(2025.01.22)
- 世界初の艦上から発艦(1910年11月14日)(2024.11.14)
コメント