山手線が「やまのてせん」に戻る(1971年3月7日)
自分は1968年ぐらいまで関東に住んでいたのですが、当時、山手線は「やまてせん」と呼ばれていました。その後、関東から離れたのですが1970年代に東京に遊びに行ったときに山手線の呼び方が「やまのてせん」に変わったことを知りました。「やまてせん」の方がしっくりくるのにと感じたことを覚えていますが、そのとき呼び方の変更の由来もあまり考えませんでした。その後、名前が変わった理由を調べたところ、山手線はもともと「やまのてせん」であったことを知りました。
山手線は都内の下町に対して山の手あたり走る電車だから「やまのてせん」と名付けられたようです。営業開始前は「山ノ手線」と表記する予定でしたが、営業開始時に「ノ」がとれた山手線が採用され、読み方は「やまのてせん」と決まりました。以降、山手線は「やまのてせん」と呼ばれていたのですが、第二次世界大戦後にGHQが交通の施設や標識などにローマ字を併記することを指示した際に、国鉄は山手線に「YAMANOTE」ではなく「YAMATE」と併記しました。これによって山手線は「やまのてせん」と呼ばれなくなり、「やまてせん」という呼び方が定着しました。「やまて」は国鉄職員の間での山手線の通称だったようです。
1970年9月に大阪万博が終了すると、国鉄は旅客確保の取り組みとして個人旅行拡大のための「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンを開始しました。このキャンペーンでは駅名や路線名をわかりやくする取り組みも行われ、駅名や路線名の誤読を避けるためふりがなをつけることになり、山手線の読み方を再考するきっかけになりました。
山手線は本来の由来から「やまのてせん」とふりがなをつけることが決まり、1971年3月7日に「やまのてせん」という名前に戻りました。同日、群馬県の長野原線が吾妻線に改称されており「あづません」と誤読されることを避けるために「あがつません」とふりがながつけられていますが、これも山手線の読み方を見直すひとつの要因になったようです。
さて、山手線というと環状の路線全体と思っている人が多いと思いますが、山手線とは品川駅から田端駅までの路線のことです。東京駅と品川駅の間は東海道線、東京駅と田端駅の間は東北線です。ですから、電車としての山手線は路線としての山手線と東北線と東海道線の3つの路線を走っている電車ということになります。
ところで、いつも混んでいる山手線ですが、あまりの混雑で目的の駅で降りることができるかどうか心配になるときがあります。特に降りる駅でどちら側のドアが開くのかを知っていると便利です。各駅で開くドアの方向についてはココログ 夜明け前 「山手線の各駅でドアが開く方向」にまとめてあります。
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