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2021年2月14日 (日)

グラハム・ベルが電話の特許権を申請(1876年2月14日)

 1876年2月 14日、アメリカのグラハム・ベルとエリシャ・グレイは、ほぼ同時に電話の特許を申請しました。2人がそれぞれ独立に電話の開発を進め、偶然にも同じ日に特許を申請し、わずか2時間の差でベルが電話の発明者になったのです。

 この頃、モールス信号を送る電信技術が確立しており、電気通信の研究が盛んに行われていました。ベルとグレイはお互いにどのような研究を進めているのかある程度は分かっていたようです。

 ベルの特許を申請したのは、ベル本人ではなく、彼の弁護士のハバードでした。グレイが電話の特許を申請することを何らかの理由で知り、ベルに許可を得ずに特許を申請したとも言われています。ところが、このときにはベルはまだ電話の完成には至っていませんでした。やっと音が聞こえる程度だったのです。ベルの電話は空気の振動を電気に変換するもので、グレイの電話は液体の振動を電気に変換するものでした。

 「ワトソン君、ちょっと来てくれたまえ」という声が、電話を通じて助手のワトソンに聞こえたという話がありますが、これは同年3月10日の話です。このとき実験に使っていた電話はベルが考えていた空気の振動を利用した仕組のものではなく、グレイが考えていた液体を利用した仕組のものだったようです。

電話で話をするグラハム・ベル(1876年)
電話で話をするグラハム・ベル(1876年)

 ベルの特許申請書には「電話を発明した」と書いてあり、グレイの申請書には「電話を研究中である」と書いてありました。結果的に、ベルが電話の発明者ということになりました。ベルの特許は同年3月3日に認可されました。特許が広告されたのが3月7日です。 ベルはこの特許で電話会社を作りました。その会社が現在のAT&T社です。

 ところで、ベルが電話を開発した直後に米国に留学中の2人の日本人がベルの研究所を訪問しています。一人は後の東京音楽学校校長の伊沢修二、もう一人は後の司法大臣の金子堅太郎です。このとき2人は電話で日本語で通話しました。英語の次に電話が運んだ言葉は日本語だったのです。電話が日本に輸入されたのは1877年のことでした。

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